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第21回会議(総選挙報道)

隠された争点えぐり出せ  重いメディアの責任

 共同通信社は一日、外部識者による第三者機関「報道と読者」委員会の第二十一回会議を東京・東新橋の本社で開き、自民党が大勝した総選挙報道について議論した。

 同志社大教授の浜矩子氏は、郵政民営化が最大争点となり憲法論議などが不十分だったことを念頭に「隠された争点、もみ消された争点をえぐり出せなかったか」と指摘。「小泉純一郎首相は言葉を独り歩きさせるのが上手だが、言葉はメディアが作るものだ。(キャッチフレーズによる)問題のすり替えに加担してほしくない」と述べ、首相サイドのメディア戦略に対抗する必要性を指摘した。

 弁護士の梓澤和幸氏は「アジェンダ(課題、争点)設定に対してメディアは責任がある」と強調した上で、「末端にいる人の塗炭の苦しみが紙面に出ていない。記者が現場に入っていないからだ。ペーパーの分析では出てこない現実から政治を見ることが期待されている」と警鐘を鳴らした。

 前広島市長の平岡敬氏は「テレビに振り回された政策選択のない選挙だった」と総括。「メディアが(有権者を)興味本位に引きずり込んだ。逆に小泉さんはテレビを利用する天才」と分析した。同時に「利益誘導とは別次元で、地方の課題を解決するには地方の視点を持った議員が必要だ」と強調、落下傘候補の大量当選で都市と地方の格差拡大が進むことに懸念を示した。

【詳報1】 末端の苦しみ紙面化を 総選挙テーマに論議

 共同通信社の第三者機関「報道と読者」委員会が一日開かれ、三人の委員が総選挙報道について議論した。前広島市長の平岡敬氏は「テレビに振り回された政策選択のない選挙だった」と総括。同志社大教授の浜矩子氏は「首相は言葉を独り歩きさせるのが得意だが、(メディアが)それにしてやられるのは信じられない」と強調した。弁護士の梓澤和幸氏は「末端にいる人の苦しみの声が紙面に出ていない」と指摘した。第三期委員の初会合で、浜、梓澤両氏は新任、平岡氏は再任。

メディアの罪重い―平岡氏  小泉劇場の報道過剰―浜氏 憲法改正隠された―梓澤氏

バラを追加する小泉首相

衆院選に大勝、当確のバラをボードに追加する小泉首相=9月12日、東京・永田町の自民党本部

 ―総選挙報道についての全体的な印象は。

 平岡委員 一つの法案が廃案になったから解散したのは法的には問題がないとしても、民主主義の根幹にかかわる問題だ。この議論がなく選挙に入った感じがする。

 今回の選挙は結局、テレビに振り回された政策選択のない選挙だった。複雑な政治をできるだけ単純化してしゃべった方が勝ち。「改革」を連呼した方がインパクトがあったのだろう。自民党内の権力闘争である「郵政賛成派」対「反対派」の対立構図は非常にテレビ向きだった。マニフェストや政権交代、政策論争を皆吹っ飛ばした。今回はメディアが小泉純一郎首相の視点に読者と視聴者を引きずり込んだ。メディアの罪も重いし、逆に小泉首相はテレビを利用する天才だ。新聞はメディアを利用している今の体制側のからくりをえぐり出すべきじゃなかったか。

 浜委員 これほど腹立たしい総選挙はかつてなかった。何はともあれ小泉首相がこれほど国民を愚弄(ぐろう)するような選挙戦を展開するのは、議会制民主主義の社会にはありえていいはずがない。小泉戦法に乗って、落下傘だ、刺客だと応じた人々も腹立たしい存在だ。何もあんなつぶさに小泉劇場を報道することはなかったのではないか。

 梓澤委員 自民か民主かという二大政党制に目を向けるあまりに憲法改正という重大な争点が隠された。(十月末に)自民党の憲法改正草案が出るにもかかわらず、選挙でどの政党に投票したらどう憲法改正に影響してくるのかと考えた人はほとんどいなかったのではないか。アジェンダ(課題、争点)設定に対してメディアは責任がある。

 吉田文和共同通信政治部長 (共同通信の)大きな方針は小泉政治全体を問うという姿勢だった。政権選択と政策選択の選挙ということをしっかり示そうと考えた。一方で刺客騒動をテレビがこれだけ報道している時に活字メディアがどう対応するか、という深刻な問題があった。

 平岡委員 小泉首相の実績はどうか(の報道)が、ちょっと物足りないという気がした。各党のマニフェストを比較する場合、他の政策との整合性や財政的に実現できるのかなどをもっと突っ込んで書かないとインパクトがない。自民党、公明党がマニフェストは別なのに選挙を一体化してやっていることは批判できないのか。この辺を突いた記事がなかった気がする。

 浜委員 一連の出稿で探していた見出しは、隠された争点、もみ消された争点、秘められた争点。あえて封印されているものをえぐり出す記事はないかと探した。憲法に関する記事でようやく出てくるが、もっと早い段階で引っ張り出せたら良かった。ジャーナリズムの役割の一つは、言ってみれば「王様は裸だよ」と言うことではないか。

 特に企画や特集では「縦糸」と「横糸」がほしかった。縦糸は歴史の中で今回の異様な総選挙の位置付け。横糸は今の日本の選挙や政治のスタイルが世界的に見てどんな位置付けになるのか。小泉劇場というコップの中の茶番劇だけに注目していると、見えないものがある。

 梓澤委員 小泉首相が政治全体のひどさを改革して良きものをもたらしてくれる、という幻想を抱かせるのに成功した。刺客騒動で、メディアが「してやられるかもしれない」という危機感があってしかるべきだった。

 末端にいる人の苦しみの声が紙面に出ていない。なぜなら記者が現場に入ってないからだ。ペーパーの分析では絶対に出てこない現実がある。記者が現場に足を延ばし、そこから政治を見ることが期待される。

 水谷亨共同通信社会部長 ルポ企画で小泉改革の中で忘れ去られてしまった人に焦点をあてた。例えば年金に頼っているお年寄りや(イラクの)サマワで活動している自衛隊の留守家族など。

 ―選挙戦報道への注文は。

 平岡委員 広島に住む私は広島6区のホリエモン(堀江貴文ライブドア社長)の騒動をずっと見た。ひょっとしたら強い指導者を求めているのではなくて、ただ単なるスターや有名な人にあこがれる思いが投票行動につながったのかなと思う。この民意というものを考え直す必要がある。

 もう一つ、今、完全な地方分権ができていない中で地方の課題を解決するには、地方をよく知った議員が中央で活躍する必要がある。地方の課題は日本の問題でもあるし、グローバルな問題につながる。利益誘導とは別次元の話だ。落下傘候補というのは全然地元のことを知らない。

 梓澤委員 塗炭の苦しみを味わっている人たち、例えば不良債権処理でひどい目に遭った中小零細の経営者、リストラで首を切られた人たちのその後を追ってほしい。その声が紙面に出ている時の選挙の雰囲気は違うのではないか。

 浜委員 小泉首相は言葉を独り歩きさせるのが得意だが、それに、してやられるのは信じられない。言葉は政治家が作るものではなくてメディアが作るものだ。「改革の痛み」という言い方は「痛みもやむを得ない」という認識につながっていく。「政策の成果として痛みが生じた」という変なすり替えにメディアは加担してほしくない。

 平岡委員 国が責任を持ってやる公的部分ははっきりさせなくてはいけない。利益はあがらないけれど社会的な基盤整備など必要なものは公が責任を持たなければならないが、ここに触れずに「官から民へ」という掛け声だけになっている。

 ―投票結果に関する分析報道をどう見るか。

 浜委員 ニート、フリーター問題や地域格差問題が票に反映されていないのか、徹底分析を今からでもやってほしい。数字の解析と同時に小泉さんに投票した人たちの声をインタビューを重ねていけばいいと思う。

 平岡委員 首都圏に吹いた風と北海道、沖縄で吹いた風は違う。両方とも中心部から離れた辺境の地で違う風が吹いた。この違いは無視できない。

 梓澤委員 最後まで迷っていたが、小泉首相の方が岡田克也民主党代表(当時)よりもやってくれると選択したという仮説が立つ。自民党に票を投じた人の真の動機をつかみ取るような取材を尽くしてほしい。

 浜委員 世論調査、アンケート調査は発表すれば終わりではない。入り口であって、得た情報からどういう物語をつくるかが勝負だ。

【詳報2】 人権の感度が鈍い―平岡氏  懐疑的で執念深く―浜氏 監視社会に危機感―梓澤氏

 ―現在のメディアの在り方についての見解、共同通信への要望は。

 平岡委員 ここ数年の言論・表現の自由の侵害、あるいは基本的人権に枠をはめる動きに対しマスコミの感度が鈍い。

 マスコミに二つの危機がある。若者の活字離れとマスコミ全体に対する不信感の増大。商業主義の肥大化が受け手にもろに見えてしまい、ジャーナリズム精神に支えられた報道が衰弱している。

 現場主義の徹底をぜひやってほしい。イラクのサマワに自衛隊が出ているのに記者が行っていない。権力との距離も考えなくてはならない。大メディアの記者は高収入。しっかりした目を持っていないと弱者の苦しみが見えてこない。私は地方生活者の目で報道の流れを見ていきたい。

 浜委員 良きエコノミストと良きメディアに求められる資質はほとんど完ぺきに一致している。一番の必要条件は独善的、第二は懐疑的、第三は執念深いということ。これだけだと異様に性格が悪い人間ということになるが、十分条件として情熱を込めて真理を追究することや真理の前に謙虚であることが必要となる。

 世の中の不正を暴くという姿勢、世の中にけんかを挑んでいくジャーナリスト魂が常に報道からにじみ出てくることを期待する。もう一つは(記事が)分かりやすくなければいけない、ということで複雑な問題を表現するための小難しいものの言い方を排除していく方向性が見られる。「猿でも分かる」という発想をメディアの世界から排除してほしい。

 梓澤氏 メディアは極めて偏頗(へんぱ)な情報構造に置かれている自覚が必要だ。国際的には米英の発信する情報、国内的には官庁の発信する情報だ。

 9・11以後、進行しているグローバルな監視社会に危機感を持つべきだ。「テロに対抗するのだから市民は監視されてもしかたがない」と言って各国の政権が人権の自由を圧迫する動きを進めている。

 誇張ではなくフランス革命以来確立された市民社会の原理が根底から揺るがされている。これに対する原理的な抵抗をメディアは考えるべきではないか。

【詳報3】 事実関係の間違いなど3件  「厳密な確認を」と委員

 共同通信社は二十一回会議で、配信記事の事実関係の間違いをめぐるトラブルなど三件への対応について報告した。

 そのうち、東北自動車道で走行車線に停車していた乗用車に大型トラックが衝突、二人が死亡した事故では、乗用車の停車位置を「路肩」と間違って記した。トラック側関係者の抗議で判明。インターネット掲載削除の措置をとり、配信先の新聞社に訂正記事を掲載してもらうと同時に関係者に謝罪した。

 梓澤委員は「無罪か有罪を分けるくらいの基本的な間違い。交通事故は間違いやすいので、法的責任に結び付くことは厳密な事実確認が必要」と警告。浜委員は「訂正を防ぐのは危機管理。編集の流れの中でどう防ぐかシステム的に考えなければ」と指摘した。

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