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第19回会議(ライブドア問題と報道、ハンセン病報道)

会社は誰のものか議論を ライブ、ハンセン病報道

 共同通信社は23日、外部識者による第3者機関「報道と読者」委員会の第19回会議を東京・東新橋の本社で開き「ライブドア問題と報道」と「ハンセン病報道」について議論した。

 ライブドア問題について、日本総合研究所理事長の寺島実郎委員は「従業員や取引先、地域社会など多様な利害関係者にバランスよく利益を配分する経営を目指すのが世界の流れなのに、会社は株主だけのものではないとの論点が出なかった」と述べ、会社は誰のものか議論を深めるべきだと主張した。

 前広島市長の平岡敬委員は「ライブドアの堀江貴文社長は情報技術(IT)とメディアの融合を掲げたが、ジャーナリズムに求められる弱者へのまなざしが感じられない」と、堀江氏の姿勢に疑問を投げ掛けた。

 明治学院大法科大学院教授の渡辺咲子委員は「ここ十年ほど外資でも資本を動かしやすいように商法を改正してきた」と述べ、そうした流れからこの問題を検証する必要があるとした。

 ハンセン病報道について、平岡委員は「問題が放置され続けたのは、記者が現場に足を運ばなかったからだ。元患者の話を直接聞けば、心に触れるものがあったはずだ」と指摘。

 渡辺委員は「隔離政策に対する違憲判決が出る前から多くの人が不合理さを感じていたのに、元患者に思いが至らず、報道機関は取り上げなかった」と述べ、寺島委員は「メディアの組織としての指導力の問題。記者が追い掛けている社会的なテーマを引っ張り上げるリーダーの判断が問われる」と提起した。

【詳報1】 会社は株主だけのものか  元患者に思い至らず

 共同通信社の第三者機関「報道と読者」委員会の第十九回会議が四月二十三日開かれ、寺島実郎・財団法人日本総合研究所理事長、平岡敬・前広島市長、渡辺咲子・明治学院大法科大学院教授の三委員がライブドア問題とハンセン病報道について論議した。ライブドア問題で寺島委員は「会社は株主だけのものではないとの論点が出なかった」と指摘。平岡委員は「ジャーナリズムとは何かという視点に立った報道が少なかった」と語った。ハンセン病報道について、渡辺委員は「元患者に思いが至らず、報道機関は取り上げなかった」と述べた。

21世紀の資本主義の議論を    「会社の在り方」検証必要

笑顔で握手する社長ら

和解し笑顔で握手するライブドア堀江社長、フジテレビの日枝会長ら=4月18日、東京都港区のホテル

―ライブドア問題にどんな感想を持ったか。

 平岡敬委員 膨大な報道が流されたが、一体何が残ったのか。結局マネーゲームの面白さや、なじみあるフジテレビジョンとニッポン放送がどうなるのかへの関心が読者を引っ張ったのではないか。企業の在り方とメディアのジャーナリズム論を混在させ論じてはいけない。ジャーナリズムとは何かという視点に立った報道が少なかったと思う。堀江貴文社長のジャーナリズム論は訳が分からない。一次情報をそのまま流すだけでいいと言ってみたり、情報の選択や加工は必要ないと言ってみたり。ジャーナリズムをどう考えているのか、もっと突っ込んだ取材をして報道すべきだ。ジャーナリズムには国民の知る権利への奉仕や権力の監視という大きな役割がある。堀江氏は情報技術(IT)とメディアの融合を掲げているが、メディアを使って仕事をする資格があるだろうか。既存の権威に挑戦する姿勢には共感するが、金もうけの手段としてしかとらえてないのではないか。ジャーナリズムに求められる弱者へのまなざしが感じられない。

 寺島実郎委員 この問題を切る座標軸がないまま、企業の合併・買収(M&A)専門家の技術論に巻き込まれて国民全員が評論家になり、プロレスのように新しい技がどう登場するのかが話題になった。七十日間、ハゲタカ対穴熊(あなぐま)の戦いにさんざん付き合わされた。米国流の株主資本主義が正しいと信じている人たちと、日本流の株式持ち合い資本主義で企業防衛を図るのが正しいと思っている人たちとの議論だ。会社は株主のものだけではなく、会社を取り巻く多様なステークホルダー(利害関係者)、従業員や取引先、地域社会、地球環境に至るまで、バランス良く配分していくのが世界の資本主義の流れなのに、会社は株主だけのものではないという論点が出てこなかった。二十一世紀の資本主義の方向を論ずる起点にするべきだ。

 渡辺咲子委員 外資でもいいからどんどん資本が動きやすいようにするという方向で毎年のように商法が改正されてきた。堀江氏がニッポン放送を乗っ取ろうとしたのは、まさに商法の改正の流れに沿ったものだ。従って、東京地裁も高裁もライブドア側の主張を否定できない。否定すると十年かかって商法を改正してきたことが無意味になる。改正の結果が突出した形でいきなり現れた時こそ、一つの現象が良いか悪いかだけではなく、会社をどんどん変えていこうという今までの考え方が正しかったのかをきちんと検証しなくてはならない。会社の在り方の問題と、放送の公共性の問題が、ごちゃまぜのまま議論されて終わるのは寂しい。放送の公共性とは何かなど、もっと掘り下げ方がある気がした。

 ―ネット時代のメディア論については。

 寺島委員 ほとんど意味が伝わらなかった。インターネットでテレビを見る時代、IP電話の時代にメディアはどう生き延びるのか。メディア側でしっかり受け止めた議論がなければいけない。

 平岡委員 ネットを見ると、既存のメディアが取材したものが載っている。これから個人的なブログ(ネット上の日記風サイト)みたいなものが社会を動かすかもしれないが、今は新聞社や放送局がものすごく金をかけて取材したものが出ているだけだ。ただ、ネットを無視するのではなく、どう取り組むかは、既存メディアの課題だ。

 渡辺委員 報道で言えば、ネットの利用は既存の報道機関が文字にした記事をベタ流しするホームページでしかない。ネットによる報道の在り方、報道機関のネット利用の仕方としては、その先に何かあるんじゃないかと皆感じている。それなのに従来のテレビとラジオ側では、ネットによるアクションと既存の報道は結び付くはずがないと頭から決め付けるだけで、堀江氏に投げ掛けられた問題にまじめに応えてない気がする。

 ―堀江氏になぜ皆が注目したのか。

 平岡委員 「自民党をぶっ壊す」と言って小泉純一郎首相が人気を得たのと同じだ。既存の権威に挑戦するのは一般の人にはできないものだから、負託したのではないか。去年もプロ野球の権威に挑戦し、みんなが喝采(かっさい)した。今回はマスメディアの権威に挑戦した。胸のつかえを取り、娯楽として面白かったのだろう。

 寺島委員 一種の劇場型買収、劇場ドラマとして展開した中で、物語の都合の良いヒーローだったのではないか。昔、金融業は一番堅い仕事だったのが、この十数年間に金融ビジネスモデルはものすごく変わった。ITをてこにした金融になって、デリバティブ型になり、株式の新規公開で大もうけしようという形になった。そういう金融ビジネスモデルのいかがわしさが一気に肥大化した。いかがわしさをすべて吸収したような新しいモンスターの登場。そういう意味では、ITと金融革命が生んだトリックスターだ。

 渡辺委員 個人的にはあまり嫌いじゃない。彼のやったことが正しいとか良いとかいうことではなくて、自分で考えてやっている若者だという意味でだ。考えなしにマニュアルでしか動かない人たちが山ほどいる中で、自分で考えて自分でやりたいことをやるためには勉強もする。金もうけと言い切ることには共感できないが、若者が考え、勉強していくというのは悪くないと思う。世間でなぜ注目し、受けたかといえば、今の面白くない世の中で、自分が思った通りのことができる人が存在するというのが痛快だからだと思う。

【ライブドア】
 ライブドア インターネット関連サービスを手掛け、2000年4月に東証の新興企業向け市場、マザーズに上場した。社長は堀江貴文氏。昨年はプロ野球への参入を目指し話題を集めた。ネット広告のバリュークリックジャパンや、日本グローバル証券(現ライブドア証券)を相次ぎ子会社化するなど、企業の合併・買収(M&A)を積極的に進めている。
【M&A】
 M&A 企業の合併・買収のこと。2つ以上の企業が1つの会社になる合併と、企業が別の企業の議決権株式の過半数を買い取ったり、事業部門の資産を買い取る買収を合わせて指す。国内でも企業の事業再編に伴い近年活発化している。友好的に行われるケースが多いが、ライブドアによるニッポン放送株の大量取得は敵対的買収として注目を集めた。この買収劇により、各社に企業防衛策を検討する機運が高まっている。

【詳報2】 感性磨き少数弱者の視点を  ハンセン病報道の教訓

 ―厚生労働省の第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」が三月に発表した最終報告書は、医師や行政とともに報道の責任も指摘している。どう受け止めるか。

 平岡委員 かつてマスメディアで仕事をしてきた者としては、ただ恥じるしかない。当時の記者のほとんどは現場に行っていないのではないか。背景に偏見もあったと思う。元患者からもっと直接話を聞いていれば、琴線に触れるものがあったはずだ。記者は人目を引く大事件には飛び付くが、少数弱者の問題に目を向けない傾向がある。現場に行って問題を掘り起こすことが大切だ。

 渡辺委員 隔離政策の根拠となった「らい予防法」を違憲と判断した熊本地裁判決の前に「ハンセン病は治る」ということを知っていたのに、隔離された人たちの生活には思いが至らなかったことを私自身反省している。「患者はどうしているのか」と踏み込んでいく感性と知的好奇心が記者には必要だ。

 寺島委員 隔離政策に国際的な批判が出た時に、伝染性が本当にあるのかどうか科学的に踏み込むアプローチもあったと思う。「かわいそう」というだけでは偏見はなくせない。共同通信はどの時点で報道の論調を切りかえるべきだったと総括しているのか。

 水谷亨社会部長 一九五八年の国際らい会議で隔離政策見直しが勧告されたが、日本は拒否した。六五年にはWHOが差別的立法の廃止を各国に求めており「隔離政策は誤り」との認識が国際的に広まっている。遅くとも六〇年代には偏見を取り除く報道をするべきだった。

 中村慎一科学部長 当時、日本のハンセン病の権威者は収容を肯定していた。WHO勧告には根拠が示されていたはずで、なぜ国内の対策と懸け離れているのか、科学的記事を書く材料はあったに違いない。医師側は取材するが、患者の視点がない。これは今でも起こりがちで反省しなければならない。

 ―どうすれば再発を防げるか。

 平岡委員 メディアは情報源を役所などの権威に頼ることが多い。単なる特ダネ意識だけでは、見えにくい問題を発掘することはできない。小さな問題でも個人でこつこつと取り組んでいる記者を軽視してはならない。

 渡辺委員 いったん隔離されると世間の視界から外れて見えなくなってしまう。こうした人々が切り捨てられないようなフォローが必要。タブー視せずに人間の差別意識に挑戦するのが報道の役割だ。

 寺島委員 組織としての指導力の問題だ。単なる精神論でなく、少数弱者の問題に取り組んでいる記者がいた時に「これはもっと構造的なテーマに高めていけるぞ」と引っ張っていくリーダーの軽重判断が最も大事だ。

ハンセン病
 ノルウェーの医師ハンセンが発見した細菌「らい菌」による感染症。末梢(まっしょう)神経や皮膚が侵されるが、感染力や発病力は極めて弱い。菌が発見されるまでは遺伝病と考えられていた。1940年代以降は治すことができるようになった。感染力が強いという誤解から、1907年に患者の隔離が始まり、31年の旧「らい予防法」で強制隔離が法制化、戦後制定された新法が96年に廃止されるまで約90年間、隔離政策が続いた。
ハンセン病訴訟判決
 ハンセン病元患者らが「らい予防法」に基づく国の隔離政策は違憲として1998年から99年にかけて熊本、東京、岡山各地裁に提訴。熊本地裁は2001年5月に「違憲性が明白」として国に約18億円の支払いを命じた。国は控訴を断念、各地の訴訟は順次和解が成立した。厚生労働省は隔離政策を続けた原因を解明する検証会議を設置、同会議は今年3月「医師の妄信や怠慢に国が便乗した」とする一方で、教育、司法、報道の責任も指摘する最終報告書を公表した。

【詳報3】 反日デモ報道など3件  読者の意見・苦情

 共同通信社は「報道と読者」委員会第十九回会議で、二月の前回会議以降に読者から配信記事に対して寄せられた意見・苦情三件を報告した。

 その内容と共同通信の対応は▽インターネットアダルトサイト利用料を架空請求するグループの逮捕報道で、間違って主犯格と報道されたとして抗議があり、起訴の続報で別人が主犯と判明したと訂正した▽中国の反日デモをめぐる報道で、中国では民間主催のデモはありえないのに、なぜ官製デモと正確に書かないのか、と指摘があったのに対し、中国政府が民間の反日感情を外交圧力として使っていると解説記事で書いていると説明した―など。

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