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第6回会議(懇談取材問題、サッカーのワールドカップ)

オフレコは最小限に 「政府首脳」発言で議論

 共同通信社は二十七日、外部識者三人による第三者機関「報道と読者」委員会の第六回会議を東京・虎ノ門の本社で開き「政府首脳」など情報源の実名を出さない形で報じる懇談形式の取材・報道の在り方や、サッカーのワールドカップ(W杯)報道について議論した。

 懇談取材問題では、非核三原則見直しの可能性を示唆した福田康夫官房長官の「政府首脳」発言が取り上げられた。評論家の内橋克人氏は「国民、社会の命運を左右するような重大事については本来、オフレコ発言はあってはならない」と強調。「取材慣行に甘えず、自主的な点検が必要だ」と、オフレコを最小限にするよう報道側の努力を要請した。

 元最高検検事で帝京大教授の土本武司氏も、オフレコ発言には観測気球の意味合いがあると指摘し「(本音を引き出すためには)こういうやり方を受け入れるべきだと思うが、かなり危険だ」と述べた。学習院大教授の紙谷雅子氏は、こうした取材の実態を読者に知らせる報道や「新聞記事の読み方」に関する教育も必要だとの考えを示した。

 W杯報道をめぐり、内橋氏はテレビを中心に「感動強制的」な報道姿勢が目立ったとし「異論、異質、抵抗人間を排除する流れ」を報道が助長する危険性を指摘した。紙谷氏は試合会場になった各地のスタジアムの運営問題など「W杯後」の問題も丹念にフォローすべきだと提案。土本氏も空席や誤審の問題などの検証を求めた。

【詳報1】 オフレコは最小限に  感動強制的報道も

 共同通信社の第三者機関「報道と読者」委員会の第六回会議が七月二十七日開かれ、評論家の内橋克人氏、元最高検検事の土本武司氏、学習院大教授の紙谷雅子氏の外部識者三人が情報源の実名を出さずに報じる懇談形式の取材・報道の在り方やサッカーのワールドカップ(W杯)報道をテーマに議論した。懇談取材問題で、委員は「重大事については本来、オフレコ発言はあってはならない」と、オフレコ取材・報道を最小限にする努力を求めた。W杯では感動を強制する報道もあったとの意見が出た。

懇談取材に3条件  説明記事提供が重要

 ―五月三十一日の福田康夫官房長官の懇談に端を発した「政府首脳」の非核三原則見直し発言は、同じ人物にもかかわらず福田氏と政府首脳の二人が発言したような記事になり読者に混乱を与えた。議論をお願いしたい。

釈明する福田官房長官

記者会見で「非核三原則見直し発言」の釈明をする福田官房長官=6月3日、首相官邸

オフレコは観測気球

 紙谷雅子委員 読者は「これはオフレコ(懇談)だから名前がなくて、こちらは(記者会見で)記録に残るから名前が付いてる」という説明を受けながら読んでいないので分かりにくい。

 オフレコの利用は観測気球を揚げて反応を見てみたいということだろう。責任ある地位の人の発言にしては大変無責任だ。しかし、必ず記事に名前を付けるようにすると「だったら言わない」と、情報を取れなくなる可能性がある。どこの国でも(オンレコとオフレコの)区別はしており、どうやって賢明な読者になっていくかがむしろ重要ではないか。

米国の方が閉鎖的

 土本武司委員 米国ではインナーサークル、ミドルサークル、アウターサークルと、マスコミを三種類に分け、インナーを厚遇するという。自由平等を標ぼうする米国社会、しかもマスコミでなぜこんな差別扱いがあるのか。

 奥野知秀外信部長 日本の記者クラブは閉鎖的だと指摘されるが、米国の方がある意味で閉鎖的だ。ワシントン・ポストなど影響力のあるメディア、中でも影響力のある記者を直接呼んでバック・グラウンド・ブリーフ(背景説明)する。それが記事に出て世論に影響していく。

本音引き出す利点も

 土本委員 読者は政府首脳が誰かは知らないが、全部が政府見解、正式の見解だという頭で読む。

 しかし今回は、もともと安倍晋三官房副長官の早稲田大での講義に対するコメントだ。あまり深く考えて述べたものではない気がする。

 官房長官たる者、一言一句たりともおろそかにしてはいけないという意味では不用意な発言だが、われわれでも自分の名前が出なければ本音を言いましょうということは確かにある。

 ―懇談での発言が本音ということになるが...。

 土本委員 会見で質問しても明確な返答が期待できないものについて、発言者の名前を伏せることで、国民に本当のことを知らせるメリットはある。発言する側に観測気球の趣旨はあると思うが、こういうやり方を全く否定すべきではないとは思う。

 しかし、かなり危険だとも思う。読者に誤解を生む場面があり得るし、一歩間違えば、政府とメディアのなれ合いという問題が出てくる。政府側のマスコミ情報操作の危険もないわけではない。報道内容の重要度に応じて、重要な国策に関することは二重構造ではなく(オンレコ)一本でいく、そうでないものは懇談方式もあってもいいというのはどうか。

重大テーマは除外

 内橋克人委員 新聞週間になると「新聞は常にあまさず真実を伝えています」といった種類のキャンペーンをやるが、実はそうではない、中にはこうした裏事情もある。新聞の側も私たちが伝えることには限界があるのですよ、と時に応じて国民にアピールしておくべきだ。

 こうした取材、報道の在り方がぎりぎりのところで許される条件は三つあると思う。

 まず、オフレコ取材、懇談、懇親などという慣行の分野を絶えず極小化していくジャーナリズム側の努力。今のところはこれが限界だが、われわれは絶えずこういう努力を重ねていますということがあって初めて、ぎりぎりの現実的対応として許される。ジャーナリズムは知ったことは伝えるのが基本。ここはオフレコ、ここはオンレコという境界線が初めからあるわけでなく絶えず権力と押したり引いたりしているわけだから。

 二番目はたとえ懇談であっても国民、国家、社会の命運にかかわる、あるいは左右する重大テーマについては本来、オフレコ発言はあってはならないという原則に立つこと。そこにジャーナリズムの原点がある。

 三番目は、何のためにオフレコ懇談に応じているのかということを常に読者に知らせていく。これ以外に今のところ方法がない、しかし、こういうふうに努力していますと。政府筋とか政府首脳とかいう言葉の意味を日常的なケアとして読者に知ってもらう教育が必要ではないか。

絶えず自己検証を

 内橋委員 大事なことは慣行に甘んじるのではなく、自主的な点検が必要ということだ。絶えずこれでいいか、どれだけの真実を報道できたかと自己検証が求められる。何よりもジャーナリズム自身が建前と本音を縮めるよう努力すべきだ。自分たちの限界を明示することはジャーナリズムの自己責任の中に入っている。

 福田長官の問題は大変重要だ。官房長官は内閣の総合調整機能を担い国家の命運を左右する。しかも情報収集とか調査に関して大変重い立場にいる。一方、非核三原則のうち「持ち込ませず」について絶えず怪しげな疑惑が指摘されてきた。今回の出来事はその二つの接点で起こった。

 今回の問題を通じて多くの人が分かったのは、政権内で官房長官はじめ重要なポストに就いている人は一体どのような考え方をもっている人なのか、本音が出た時、こういうことも言う人なんだと。どのような人が閣僚に名を連ねているのか、政権そのものの本質を認識することができたことだ。

首相にオフレコなし

 国分俊英編集局長 首相にはオフレコは一切ない。政府首脳というと報道側では官房長官だと分かるが、一般読者には分からない。紛らわしいことは間違いない。

 紙谷委員 「Q&A」のような形で新聞の読み方を説明する記事を増やしていくことが重要だ。首相にはオフレコはありません、何か言えば必ず書きますというようなことを、何かの折に書いていくべきだと思う。国語の時間に新聞記事の読み方を教えていく、しかも義務教育の間に、というのが本来の筋でしょう。そうしないと、ちゃんと読めなくなってくる。読者がどうやったら分かるか、補助的道具をいろんな場面で出していただきたい。

【福田発言の経緯】
 記者会見で「非核三原則見直し発言」の釈明をする福田官房長官=02年6月3日、首相官邸  福田康夫官房長官は五月三十一日、定例の記者会見で核保有は法理論上可能との見解を示した直後に、記者団との懇談で非核三原則の見直しもあり得ると発言した。
官房長官は内閣記者会との間で定例の会見と懇談を行っている。内容を記事にする場合、会見は「官房長官」の実名だが、懇談はオフレコ扱いのため発言者を特定せずに「政府首脳」とするルールとなっていた。
 このため「福田発言」を報じた記事の中に二つの表記が混在。官房長官と政府首脳は別人との印象を与えることになった。この発言をめぐって国会が空転。福田長官は六月三日に自分の発言と公に認め、国会で「真意ではない」と釈明して事態を収拾した。
その後「政府首脳」の表記は使っていない。

【詳報2】 国との一体感は疑問  商業主義の検証を

 ―サッカーのワールドカップ(W杯)では相当の紙面展開をした。報道に対する印象は。

 紙谷委員 道頓堀川に飛び込むのは、サッカーファンだからではなくって、お祭り騒ぎに乗りたいからだろう。憂さ晴らしをしたいという面もある。それが国との一体感なのかというと疑問。日本人はいろいろな国を応援していたし「日本」という意識を持たずに祭りに参加した。韓国の盛り上がりは、国を意識している。日本の場合は国家意識ではなく、ただの祭り好きと見た方が良い。

 内橋委員 W杯にはカネの問題もある。入場券問題も起きたが、国際サッカー連盟(FIFA)には非常にダーティーな側面がある。FIFAの組織としての商業主義、腐敗もあり、それを含めて全体としてのW杯だ。フィーバーを盛り上げる記事だけでなく、国際イベントの裏側に何があるのかもバランス良く報道すべきではないか。

 紙谷委員 全国にできたスタジアムはどうなるのか、自治体がキャンプを誘致するのに使った資金の収支決算もかなり厳しいはず。

 土本委員 入場券問題も一体本当の原因は何だったのか。その究明とその後始末は知りたい。フォローする価値のある問題だ。

 ―日韓共催という側面も重要なポイントだった。

 内橋委員 「日本コリア新時代。心の壁が取れて良かった。スポーツを介してバリアーが溶融されて心が通じ合った」と各紙よく似た報道。それはそれで結構だが、それだけなのか。感動を強制されるような情報洪水の中で、感動している間に厳しいもう一つの現実から目をそらしてしまう心配はないか。時代的にみてもバランスの取れた目配りが必要なケースだったと思う。

 土本委員 W杯最中に黄海で南北の銃撃戦もあった。現実を認識しなければいけない。日韓共催だが、韓国では日本と競争した上での「競催」。ともに楽しくやろうというより、日本への競争意識があったという記事が出ているが、その通りだと思う。

 紙谷委員 日本の若者は無邪気だし、日韓の若い世代は互いに好意的。かつての植民地支配もあり、他国を理解するのは難しいが、相手を知りたいと素直に思う若い世代がいることは非常に良いことではないか。

【詳報3】 政府見解への報道も大切  歴史事実など4件の苦情

 共同通信社は「報道と読者」委員会第六回会議で、五月の第五回会議以降に読者から寄せられた配信記事に対する意見・苦情四件を報告した。

 「沖縄慰霊の日」に関する報道で「国内で唯一、住民を巻き込む地上戦のあった沖縄」との記事が配信されたことについて、日本サハリン同胞交流協会の副会長から「サハリン(樺太)でも激しい戦闘があり、明らかな間違い」との指摘があった。

 同様の表現は沖縄全戦没者追悼式の首相あいさつでも使われており、共同通信社も「国内」は現在の国内を意味するもので、間違いではないと説明。しかし、誤解を与えないよう今後は「国内で唯一」の表現は避ける方針を報告した。

 これに対し内橋克人委員は、サハリンの地上戦を知らない日本人が多い現状を指摘。「サハリンの旧住民には戦争体験を知ってもらいたいという必死の思いがある。政府見解がどうあろうが、それに対して報道としてどう応えられるのかが大事」と問題提起した。

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