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第2回会議(米中枢同時テロ)

テロを生む構造えぐれ  「過剰反応」の監視必要

 共同通信社は二十九日、外部識者三人による第三者機関「報道と読者」委員会の第二回会議を東京・虎ノ門の本社で開き、米中枢同時テロなどについて議論した。

 三氏とも「テロは許されるべきではない」と強調。評論家の内橋克人氏は、事件後の経済活動の停滞などにより「あぶり出された米国一極集中のシステム」や、中近東などに対する主要国の武器輸出の実態など「テロを生む構造」を明らかにしていく必要性を訴えた。

 元最高検検事で帝京大教授の土本武司氏は「今回の事態は戦争として扱うのではなく、犯罪として徹底的に糾弾し、首謀者は法の下に裁かれるべきだ」と述べたうえ、「(報復で)罪のない人を道連れにしてはならない」と慎重な対応が必要だとした。

 日本政府の対応をめぐって、学習院大学教授の紙谷雅子氏は、米軍等支援法案(仮称)などの動きについて「自衛隊を海外に派遣したい外務省や防衛庁が、(米国の要求を)圧力に使っているのではないか。過剰反応が出ている」と指摘。

 内橋氏は「湾岸戦争当時も(自衛隊の)海外派兵のお墨付きを得ようという声がずいぶんあった」、土本氏は「湾岸戦争では血税によって多大な貢献をした」などと述べ、新法制定の動きなど日本政府の「過剰反応」を監視していく必要があるとした。

 歌舞伎町ビル火災の報道も取り上げられ、土本氏は被害者報道とプライバシーの問題をめぐっては「抑制のきいた処理の仕方」が必要だとした上で、「事実の記録」という面から、実名表記が原則だと述べた。

【詳報1】 戦争ではなく犯罪 テロ生む構造探れ

 共同通信社の第三者機関「報道と読者」委員会は九月二十九日、第二回会議を開き、評論家の内橋克人氏、元最高検検事で帝京大教授の土本武司氏、学習院大教授の紙谷雅子氏の三委員が米中枢同時テロを中心に報道の在り方をめぐって議論した。

 ―まず今回のテロについて印象、意見をうかがいたい。

 土本委員 今回の事態を戦争として扱うのは問題だ。犯人の仕業は「戦争的」だが、「犯罪」としてとらえるべきだ。戦争なら敵国人は非戦闘員であっても攻撃の的にしうるが、犯罪であるから犯人以外の者はどんなに犯人に近い人であっても、攻撃の対象にすることは許されない。これを認めれば、根拠のない連帯責任、つまり江戸時代まであった罪九族に及ぶ考えを現代に行うことになり、正義の名の下に不正義を許容することになる。

崩壊する高層ビル

9月11日朝、航空機が衝突し、崩壊するニューヨークの世界貿易センタービルの1棟(AP=共同)

 本件テロの首謀者はもとより、テロの企画、準備、実行に関与した者はすべて厳しく糾弾しなければならないが、罪のない人は一人たりとも道連れにしてはいけないという考えを基本にすべきだ。国を挙げて報復に向かっている米国でも、5%の人が武力行使に反対の声を上げ、それをマスコミがちゃんと報じている。

 内橋委員 新しい戦争、二十一世紀の戦争だという概念規定が米国先行で行われ、世界が追随する形になった。日本政府は特に軍事面で過剰な対応をしている。遅れてはならぬとの焦りから自衛隊の海外派遣の流れが加速している。

 絶句するほど悲惨な事件であるが、軍事・技術・マネーの米国一極集中がテロの背景としてあぶり出された。それに支えられた世界経済のグローバリゼーションの本質がはっきりした。貯蓄率マイナスの中でも消費を続ける米国経済の浪費構造はもはや続かないだろう。そういう意味で日本経済の政策修正が必要なのに行われようとしない。ゆゆしき問題だ。

 航空機や(巨額の資金を投機的に運用する)ヘッジファンドがテロの道具に利用されており、「キャピタリズム アンダー アタック(資本主義が攻撃される)」という視点も押さえるべきだ。

 紙谷委員 米国ではアラブ系の人々への嫌がらせがある。日本ではあまり大きく報じられない。米国の目から見た情報が流されやすいが、個人のレベルで何ができるかということをもっと知りたい。(パレスチナ自治政府の)アラファト議長は献血をしようと言った。懲らしめるのではなく、そういう視点があってもよかったと思う。

 他の同盟国がどう対応するのかの情報が少ない。英国は別として、それ以外の国は積極的に軍隊を送ると言っているのか、領空を飛んでもいいですよ、といった程度なのか。

武器輸出の視点も

 ―事件の背景について議論を深めてほしい。

 内橋委員 湾岸戦争の時、イラク軍を育てた大国の武器輸出の問題があった。当時、中東、第三世界への兵器ビジネスの90%が米ソ仏英の四カ国で占められていた。一方で、経済格差があり、他方でマネーが投機の対象になる。ますます格差が拡大する。

 テロを憎むことは極めて大事だ。しかし、イスラムの側から見たテロに至る構図があり、読者はそれを知りたがっている。なぜ米国は憎まれるのか。兵器ビジネスにかかわっていない日本が軍事面に偏った突出した対応をしていいのか。テロを生み出す構造を武器輸出も含め、再検討すべきだ。

 紙谷委員 中東から見た視点が読みたい。イランやイラクが過去のつながりから、どこから武器を買うかとか。タリバンがひっくり返って(ザヒル・シャー)元国王が(アフガニスタンに)戻れる状況になるのか。なぜ反タリバンの北部同盟ができたのか、どういう違いで分かれているのか。

「氏」は必要か

 ―ウサマ・ビンラディン氏首謀説と、なぜ「氏」を付けるのかという敬称の問題を指摘する声も一部にある。

 土本委員 呼称は一般の犯罪と同じ扱いをすべきだ。対外的スポークスマンの米国のパウエル国務長官が最重要容疑者と断定した時点で「氏」は外していい。テロを企図した人物の逃亡、証拠隠滅の恐れもあり、(今の段階で)証拠を開示する必要はない。

 内橋委員 「氏」を付けるかどうかは、人権や真犯人かどうかという問題とは離れた意味がある。米国の断定、仮定を百パーセント受け入れるのか、ということへのこちら側の回答だと思う。「氏」を付けているのは、われわれはまだ米国の言い分の百パーセント受容に留保をつけている、という一つの報道姿勢と解釈できる。

 紙谷委員 私は本当にビンラディン氏が首謀者かどうか、ちょっと気にしている。オクラホマシティーの連邦ビル爆破事件の時も最初はイスラム原理主義者の犯行と言っていたが、結局違った。犯罪の扇動と実行段階ではまったく違う話だったり微妙な点もあるかもしれない。その意味で現時点は「氏」を付けた方がいい。

テロ根絶の努力を

 ―世界貿易センタービルから人が落下する写真が新聞に掲載されたが、どうみるか。

 土本委員 米国では多数の人が落下する状況が放映されたと聞いた。それだと残虐性の問題が出てくる。子供の教育上は、日本で放映された程度のものは問題にすることはない。むしろ事実を事実として報道し、それによって人命の尊さを認識させる効果を重視すべきではないか。

 紙谷委員 米国では残虐性についてテレビ放映の基準が厳しいとされており、人が死亡していると簡単に想像できる場面の報道はだめだという反応が出ても不思議ではない。しかし実際にあったことを隠してもいい、ということにつながらなければいいが。

 内橋委員 テロはどんなに悲惨か、その根絶はどれほど難しいか。だが、われわれはテロ根絶への努力を放棄してはならないことを知らしめていく義務がある。例えば原爆。広島、長崎、もっと悲惨なところを人々に示すことで核兵器をどう禁止していくのか、そこに向けてのエネルギーが実際に沸き上がってきた。

新法に外圧利用か

 ―日本政府の対応については。

 内橋委員 国会の召集が二週間も遅れ、テロへの即応態勢や経済政策の修正一つ議論できなかった。小泉内閣は政権維持や人気持続の戦略が先行し、国会議論は後回しになっている。(テロ対策の)新法も国際公約が先だった。テロに心を奪われている足元で、経済は危機的状況に陥っている。

 土本委員 米国の評価は気に入らない。湾岸戦争で日本は百三十億ドルを拠出した。赤ん坊まで国民一人当たり一万円になる。米国の指導でできた憲法によって、(自衛隊が外国で)血を流せないのは百も承知のはず。テロへの見舞金一千万ドルについても、まずサンキューと言うべきだ。

 紙谷委員 湾岸戦争時に私は米国にいたが、日本はたくさんお金を出してくれた、との反応がすごくあった。日本はしばしば、いろいろな意見がある中で、使いたい意見を外国から持ってきて圧力にしている。自衛隊を出したかった人が、これ幸いと使ったのではないか。

 内橋委員 (米高官の)「SHOW THE FLAG(国旗を見せろ)」という言葉もどこかで真意が意識的、無意識的にスリ替えられたのではないか。調べるべきだ。

 紙谷委員 議院内閣制は首相がその気になれば非常に独走しやすい体制。むしろ大統領制の方が議会が嫌だと言ったら動かなくなる。メディアは政府を監視していくことをより強く要望されている。

【詳報2】 事実伝えるのが報道の責務 歌舞伎町ビル火災

 「報道と読者」委員会の第二回会議は、歌舞伎町ビル火災の報道も取り上げた。共同通信は死傷者の名前を実名報道した。しかし、自宅住所は市や区までとし、どの店で死亡したかは出さなかった。焼けた店舗を「飲食店」とした新聞もあったが、共同通信は「キャバクラ」とした。

 ―実名原則の中でプライバシーとのバランスをどう取るかが重要なテーマとなっている。

 土本武司委員 客観的事実を事実として記載することと、歴史的に事実を記録することが報道の責務。名前も住所も正しく報道し、特別の要請がある場合は例外的に伏せるという姿勢は正しい。

 紙谷雅子委員 歌舞伎町の飲食店と聞けば、多くの人は普通の居酒屋とは思わないのではないか。キャバクラを説明する記事があればよかった。

 内橋克人委員 キャバクラが現代日本にどれだけ存在するのか、そういう営業の在り方に対してどういう姿勢を国はとってきたのか、なぜこういう営業形態を許しているのか、どういう資金が流れているのかなどを報道としては問うべきだ。

【詳報3】 しっかりした歴史観必要 読者対応は12件

 六月の第一回会議以降、共同通信の加盟社を通じて寄せられた意見は、兵庫県明石市の花火大会事故に関して「将棋倒し」という表現をやめてほしいという日本将棋連盟からの要望や、沖縄の女性暴行事件を「婦女暴行事件」と表記したことへのクレームなど計十二件。共同通信は日本将棋連盟の要望を記事にし「将棋倒し」をなるべく使わないようにした。沖縄の事件は、容疑名は従来通り「婦女暴行」としたが、事件の名称を「女性暴行事件」に変えた。

 土本武司委員 多くの人が倒れた状態はまさに「将棋倒し」で、使わないようにする措置は必要なかったのではないか。

 紙谷雅子委員 容疑名について「婦女暴行」という表現では性犯罪の意味が伝わらない。正確に「強姦(ごうかん)」と書いた方がいいと思う。

 内橋克人委員 読者からの意見にきちんと対応することは大事だ。しかし、中には意図的なクレームや、いわゆる言葉狩り的な異議申し立てもある。報道の主体性が損なわれないよう、個々の記者がジャーナリストとしてのしっかりした歴史観を持つべきだ。

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