長期連載‐国内

(42)心の奥、拾ってくれた 傷痕に「おかしい」

 桜だけは残っていた。西日を浴びた大木を、空を見上げるように見詰める。植えた時には、腰の高さもなかった。10月上旬、千葉広和(ちば・ひろかず)(75)は、若き日に入所していた宮城県大和町の職業訓練施設「船形学園」跡地に立った。

 約4年前、数十年ぶりに訪れた時は更地に草が生い茂っていた。今はコンクリートで整地され、企業が使う。だが仲間と一緒に植えた桜は残され、枝葉が風にざわめいている。「大きくなったな」。心の痛みが胸を突く。

かつて入所していた職業訓練施設「船形学園」の跡地に立つ千葉広和。大きくなった桜の木々を見詰めた=宮城県大和町

 ▽手術痕

 軽度の知的障害がある。幼い日、父母と妹の4人で、秋田県で幸せに暮らした。父の転勤に伴い、小学校の途中から1人だけ、県内の母方の祖父母宅に預けられた。通い始めたばかりの絵画教室はやめることになった。

 祖父母は愛情を注いでくれたが、宮城県で暮らす両親や妹を思うと、さみしさが募った。17歳だった1966年夏、両親が迎えに来てくれた。

 一度は実家に帰ったが、すぐに船形学園に連れて行かれた。布団は事前に運び込まれ、親が勝手に入所を決めていた。

 家族と離れた暮らしはつらかったが、青春の日々でもあった。園芸科に所属し、パンジーやシクラメンを育てた。鉢植えをリヤカーに積み、仲間と一緒に売り歩く。「七ツ森」と呼ばれる近くの山々を眺めると、秋田が思い出された。桜は何かの記念日に植えた。

 ある日、施設の職員に仲間2人とライトバンに乗せられた。仙台市中心部にあった診療所に着き、突然、手術を受けさせられた。麻酔を2本打たれた記憶がある。翌日会いに来た母親は、手術に触れなかった。左脚の付け根に痕が残った。

 入浴時、多くの仲間に同じ傷があることに気付いた。「おかしい」と思ったが、誰も話題にせず、親にも、職員にも、聞けなかった。

 72年に退所。就職した木工所では、罵倒され、暴力を受け、食事は少量で栄養失調になった。植木屋や農園を経て勤めた養豚場では、家畜用の電気ムチでヘルメットが割れるほど頭を殴られた。

 実家に帰省しても「逃げ出したい」とは言えなかった。父親の口癖は「男だったら黙っていろ」。我慢を続けながら、歳月を重ねた。

   

「船形学園」の園芸科に所属していた頃の千葉。指導員(左手前)の下、育てた花を町で売り歩いた=宮城県大和町(画像の一部を加工しています、提供写真)

 ▽帰り道

 支援者の村山郁子(むらやま・いくこ)(72)との出会いが転機になった。15年ほど前から、村山が副代表を務める仙台市のNPO法人「生活支援きょうどう舎」のグループホームで暮らす。

 2018年5月。乗用車の運転席でハンドルを握る村山に、後部座席から打ち明けた。「自分も手術を受けさせられました」と。

 この年の1月、旧優生保護法下で、障害を理由に不妊手術を強いられたのは憲法違反だとして、宮城県の女性が、全国で初めての国家賠償請求訴訟を仙台地裁に起こした。報道を見て、施設にいた時に受けさせられた手術と重なった。

 なぜあの日、打ち明けられたのだろう。取材に来た記者に問われ「父親と面会した帰り道でした」と答えたことがある。だが、それ以上聞かれても、言葉が出ない。「分かりません」と言って、うつむく。

 いつもそうだった。好きなテレビや野球、音楽の話なら、楽しく話せるのに。気持ちや意向を聞かれるのは苦手だ。

 きょうどう舎の支援者は、辛抱強く耳を傾けてくれる。心の奥を、ぽつり、ぽつりとこぼしてみる。その言葉を拾ってくれる。

 優生手術についても、何度も話を聞いてくれた。弁護士とも会い、自分にも分かるように説明してくれた。国賠訴訟をやりたいと思った。

入所するグループホーム近くの作業所で絵を描く千葉広和。窓に貼られた作品を、近所の子どもたちが立ち止まって見てくれるのが嬉しい=仙台市

 ▽白い紙

 壇上で足がすくむ。約千人収容のホールは満員に近い。今年10月中旬、知的障害のある当事者が自己決定を求める運動「ピープルファースト」の全国大会が大阪市で開かれた。

 村山の勧めがきっかけで、何度も大会に参加してきた。この日は旧優生保護法訴訟の法廷を舞台にした劇を仲間が企画してくれ、主役として出演した。

 出番だ。言葉が出ない。せりふが書かれた紙を持つ手の震えが止まらない。それでも、全員が待つ。

 数十秒後、最初の一言を絞り出した。「親と職員が自分には内緒で手術を受けさせました」。吃音(きつおん)がある。全てのせりふを言い終え、頭を下げた。温かい拍手が起きた。

「ピープルファースト」全国大会に参加した千葉広和。仲間が企画した旧優生保護法訴訟を舞台にした劇で原告役として登場した=大阪市

 ピープルファーストの活動に加え、15年ほど前から取り組む絵の創作も心の支えになっている。

 白い紙を前に、最初は何も描けなかった。小さなマス目を一つずつ色鉛筆で塗りつぶす練習から始めた。やがて故郷・秋田の山が心をよぎった。

 それからは、山ばかりを黙々と描く。背景はいつも青空で、山は鮮やかな緑色だ。施設のそばの七ツ森を思って描くこともある。

 いつか、よく晴れた春の日、あの桜が咲いているところを見てみたい。

(敬称略、文・宮城良平、写真・泊宗之、2023年11月18日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

千葉が描いた山の絵