長期連載‐国内

(41)一緒に前を向けなかった 娘の死、妻を置き去りに

 娘は生後100日でこの世を去った。斎藤無冥(さいとう・むみょう)(58)にはその時の記憶が欠けている。息を引き取った瞬間から、思い出す景色は真っ白で、どうやって家に帰ったのかも分からない。ただ、小さな亡きがらに優しく声をかけ続ける妻の表情だけは覚えている。数カ月後、斎藤はその妻を置き去りにして家を出た。

娘の墓を訪れ、手を合わせる斎藤無冥。「なんとか生きているよ」と報告した=宮城県内

 ▽勝ち組

 ボディーボードを通じ、宮城県の海岸で2人は出会った。妻は12歳年下で、実家は裕福な畜産農家。2000年6月に婿入りした。妻は美容師の免許を取って働き、農業者として研修を始めた自分は、妻の実家で後継者として大事にされた。「人生左うちわ。勝ち組だ」。そう確信していた。

 新婚旅行から帰ってすぐに妊娠が分かり、娘と知って小躍りした。だが出産の2カ月前、精密検査で「18トリソミー」という染色体異常が判明した。おなかがどんどん大きくなるのを無邪気に喜んでいたが、後に羊水が多くなりがちな、病気特有のものだと知った。

 2人で何日も泣き続けた。ネット検索で「長生きする子もいる」という情報に希望を見いだしては「俺らの子だから強いはず」と励まし合った。

 01年4月17日に誕生したが、チューブを通してミルクを飲ませても体重が増えない。わずかに増えると歓喜し、また減ると落胆する日々だった。

 生後100日を祝うお食い初めをした日。入院先の病院で親族らが解散した直後、娘の容体は急変した。酸素濃度がみるみる低下し、わずか1時間後に息を引き取った。

41歳のころ、行きつけの居酒屋の従業員と写る斎藤。生活は荒れていた=宮城県内(提供写真)】

 ▽離婚届

 葬儀までは気丈に振る舞ったが、終わると娘のビデオを見ながら2人で涙を流した。同じ時期に妻の姉が男の子を産み、実家に連れてきていた。妻は機会を見つけては「私がおっぱいをあげる」と言ってあやした。その様子を直視することができなかった。

 娘の死から3カ月ほどたち、妻は再び美容室で働き始めた。しかし、自分の方は時間が止まったままだった。妻は次の子を欲しがったが、それは受け入れられなかった。

 葬儀の準備中、義理の祖父は「この子はうちの敷居をまたいでいない。一番安いのでいい」と寺の住職に言い放った。

 斎藤はぐっとこらえ、感情を表には出さなかった。妻の実家には、愚痴や弱音を吐いてはいけない田舎特有の雰囲気があった。そこで弱みを見せたくなかった。

 妻との会話も、当たり障りのないものになった。苦悩を打ち明けようとはせず、妻が何を考えているのか真剣に耳を傾けようともしなかった。いつも自分の言いなりになる妻を見て、すべては思い通りにすればいいと思い込んでいた。

 ある時、自分の中で何かがはじけた。「出て行く」。妻は泣きながら「私も連れて行って」とすがったが、「おまえの顔を見るとこの家のことを思い出す」と突き放した。一家への怒りで頭がいっぱいだった。

 県内にある実家に戻り、娘のために飼い始めた羊の世話をして時間をつぶした。妻からはたまに近況を知らせるメールが届いたが、もう終わりだと考えていた。ある晩、妻のもとを訪れ「出しておけ」と離婚届を置いて帰った。

 それでもメールのやりとりは続いた。「今度、同級生の飲み会があるんだ」。「いいじゃん。楽しんで」。そしてある日、妻が現れた。「仲のいい人がいる」「あなたに会いたいと言ってる」。斎藤は「そんなのいいよ」と拒否した。「再婚したいんだよね」。そう告げられた。

 ▽過去帳

 離婚後は知人のつてを頼り、違法風俗店で働いた。もうどうなってもいいと思っていた。何度か自殺を試みたが「もし生き残ったら大変だな」と覚悟が定まらない。本気でないことは、自分が一番よく分かっていた。

 07年春、店が摘発され逮捕された。考える時間があり余っていた留置場で、娘の供養をきちんとしていないと気付いた。

 実家の菩提(ぼだい)寺に頼み込み、43歳で掃除やお経を読む修行を始めた。ある日、檀家(だんか)の法名や享年などを記した「過去帳」を見つけ、はっとした。

 「こんなにも子どもを亡くした人がいるのか」。そう考えると、なぜか妻への罪悪感が押し寄せてきた。「何度も検査され、おなかを痛めて産んだ娘を失って苦しまなかったはずがない」

 妻はきっと、このままでは共倒れになると分かっていたのだろう。前を向こうとする妻を見て、自分は取り残される気がした。次の子が生まれれば、娘の存在が忘れられてしまう恐怖もあった。だが、妻を突き放す必要はなかった。苦しいからこそ話をして「待ってよ」と言えばよかった。

 斎藤は今、実家で僧侶をしながら過ごしている。過去を隠さない姿を見て、多くの人が悩みを相談しに訪れるようになった。「同じような過ちを犯してほしくない」。あの時の後悔は、今も自分を許してくれない。

(敬称略、文・宮本寛、写真・堀誠、2023年11月11日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

娘の墓に手作りの地蔵を供える斎藤無冥=宮城県内