長期連載‐国内

(39)私に何ができるのか 弱さ抱え撮り続ける

 高橋美香(たかはし・みか)(49)が取材中にシャッターを押せなくなったのは、2001年1月のパレスチナ自治区ガザでのことだった。息子の遺影を胸に抱えた年老いた女性が、こちらを見つめている。

 パレスチナは、イスラエルに対する抵抗運動「インティファーダ」の渦中にあった。重武装のイスラエル兵への抵抗手段は、投石や自爆覚悟の爆弾攻撃。占領地のいたるところで無残な死が積み重なっていた。

 高橋は当時26歳、留学生で写真家を目指していた。ガザの友人の紹介で会ったこの女性は、イスラエル軍に息子を殺されていた。遺影と一緒に抱きかかえていたのは、息子が残した乳飲み子だった。息子の妻は、夫の死に耐えきれず心を病んだ。

 それでも女性は自分を受け入れてくれた。「どうぞ撮ってください」。その瞬間、撮ることの重みを突きつけられた。苦しむ人々に一度だけカメラを向け、悲劇を記録したつもりになって去っていく欺瞞(ぎまん)も悟った。

 辛うじてシャッターを切った。経験のなさや自分の弱さ、そしてこの地で流される何千倍もの涙の存在を思い知った。

 

【子どもの頃から大好きだった神楽を撮影するため、実家近くの皇子神社を訪れた高橋美香。地元の知り合いから声がかかり、笑顔がこぼれた=広島県府中市】

 ▽無為な日々

 広島県府中市に生まれ、中学時代、同年代の子どもたちが戦車へ投石する姿をテレビで見てパレスチナへの問題意識が生まれた。学校になじめずバイトや旅に明け暮れる高校生活を経て、埼玉県の大学に進学した。

 国際関係とアラビア語を学び、卒業後は弁当工場の夜勤アルバイトで渡航資金を捻出、エジプト留学でさらにアラビア語を学んだ。その間、インティファーダに揺れる現地を2度訪問した。

 ガザでの撮影体験も経て、パレスチナに向き合い続けるつもりでいた。ところが、帰国後は無為なアルバイトの日々に入ってしまう。写真を発表する機会もなく、取材資金の蓄えもままならない。貯金のため会社勤めを始めると、経済的な安定への未練が生まれた。安定した生活から抜け出す勇気もなくなり、目標を見失いかけた。

 こだわり続けるパレスチナのニュースを見ても、金縛りのように何もできなかった。悔しさとふがいなさを抱え、ストレス発散のためパンクライブに散財する日々を送った。

 ▽何しに来た

 長い苦悩の7年が過ぎ、08年の年末、ガザ地区がイスラエル軍の攻撃を受けた。ニュース映像には火炎に包まれる住宅や激しい砲撃が映る。親しい顔が浮かんだ。

 「あの中には彼らがいる。何もしない自分にはもう耐えられない。安定のために夢や目標を犠牲にするのはやめよう」。会社を辞め、約3カ月後に渡航した。ガザ入境は制限されており、ヨルダン川西岸ジェニンの難民キャンプへ向かった。

 待っていたのは拒絶だった。路上で出会った40歳前後の男性に自己紹介すると「何しに来た」と怒りをぶつけられた。「あの時世界は何もしてくれなかった」と言う。

 キャンプには約7年前、イスラエル軍がテロ対策の名目で侵攻した。中心部ががれきと化し数十人が死亡する惨事となったが、その後世界はジェニンを忘れてしまった。

 高橋は忘れてはいなかった。でも、何もできなかった自分は同じだと思った。「何でいまさら」と冷笑する男性に反論できない。引き揚げる途中、その様子を見ていた子どもらに石を投げつけられ、バッグを蹴られた。

 とぼとぼ歩いて乗り合いタクシー乗り場に向かうと、別の子どもに人形劇に誘われた。それが縁となり、数年後に現地の女性と知り合い、女性の自宅に居候しながら長期の取材を始めた。

 共感と拒否、それでも再び包み込んでくれる土地と人々。その平和な日々を夢見る。戦争とテロのイメージが強いが、同じ人間であることを伝えるため、笑顔を多く撮り続けた。

 その後はアルバイトをしながら書籍を出版し、現地情勢を講演で伝える活動も続けてきた。

 

【2018年、パレスチナのジェニン難民キャンプで居候させてもらっていたアワード家の家族と一緒に写真を撮る高橋美香(左から2人目、本人提供)】

 ▽友の死

 現地取材を重ねる中で、互いに家族と思える友も得た。今年2月、その友の親友ムハンマド・アブサバハ=当時(30)=が、ジェニンでイスラエル兵に撃たれ死亡した。彼は武装抵抗組織に入り、イスラエル軍と戦っていた。直接の動機を本人から聞いたわけではないが、周囲には殉教願望を口にしていたらしい。占領地の絶望がそうさせたのか。口数は少ないが何にでも一生懸命な青年だった。涙が止まらず、呼吸の仕方も分からなくなった。

 多くの友達が殺された。パレスチナ和平も遠のくばかりだ。「むなしすぎる。パレスチナ取材も含めて全部やめてしまおう」。そんな考えも浮かんだ。どんなに頑張っても、彼らが尊厳のある人生を全うできる時代は来ないかもしれない。

 アブサバハの死から半年以上が過ぎた。自分に何ができるのか迷いは残る。それでもパレスチナとの関わりは続く。「あの土地には友がいる。早く来いと言ってくれる」

(敬称略、文・半沢隆実、写真・今里彰利、2023年10月28日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

 

【実家近くの皇子神社で神楽を撮影する高橋美香=広島県府中市】