長期連載‐国内

(38)虐待なんてあり得ない 会えない息子、妻を信じ

 いつもはLINE(ライン)で連絡してくる妻(43)から、珍しく電話がかかってきた。職場にいた菅家英昭(かんけ・ひであき)(50)は不吉な予感がした。「転んで意識がなくなった。どうしよう」。電話口で息子(6)の名前を繰り返し叫んでいる。妻はパニックになっていた。

 救急搬送された息子は手術を受けたが、意識が戻らない。「脳波フラットです」。聞き慣れない医師の言葉に動揺した。全身を管でつながれ、頻繁にピーピーと音が鳴る。「とにかく早く意識が戻って」。鶴を折り、ひたすら回復を祈った。

 

【自宅のリビングで家族についての話をする菅家英昭=大阪府内】

 ▽呼び出し

 2017年1月。長年の不妊治療の末、息子が誕生した。大阪府守口市の自宅で事故が起きたのは、生後7カ月が過ぎた8月23日だった。2日前にできるようになったつかまり立ちをしている最中に転倒し、頭を床に打ちつけ大けがをした。

 意識が戻るまで約2週間かかった。夫婦で毎日病院に通い、退院後の生活の準備を進めていたころ、児童相談所から呼び出しの連絡があった。

 「早く終わらせて、病院に会いに行こう」。妻と話しながら行ってみると、息子は既に退院し、一時保護処分を受けたと聞かされた。何のことか意味が分からなかった。

 けがの状況から「揺さぶられっ子症候群」と疑われたのが理由だった。密室での事故だったため、けがの原因に関しては医師による鑑定も行われていた。それによれば「事故の可能性が高く、虐待の可能性は低い」と判断されたはずだった。

 しかし、児相の担当者は「虐待の可能性がゼロでない以上、疑わしきは保護となるのです」ときっぱり言った。

【こいのぼりが泳ぐ施設で、面会した息子を抱く菅家英昭=2018年4月、大阪府内(提供写真)】

 ▽妻の逮捕

 息子は児相によって施設に移され、週に1回、1時間しか会うことができなくなった。治療やリハビリ、施設の生活環境など気になることはたくさんあった。手の及ばない力によって、わが子との尊い時間が失われている。なぜこのような罰を受けなければならないのか、と苦しんだ。

 いつ帰ってくるのか児相に尋ねても「捜査機関の判断を待ってから」と返されるばかり。虐待を疑われることになった妻は警察の捜査対象となり、厳しい取り調べに泣いて帰ってくることもあった。

 「本当のことを言え」「良い母の仮面をかぶっているのか」。自白を迫るような言葉だけでなく、「一生障害が残るぞ」とけがをさせてしまった妻の負い目につけ込むような追い込み方に、菅家は激しい怒りを覚えた。

 弁護士の助言を受け、児相と争おうと思ったが「子どもと会える時間がさらに少なくなる恐れもある」と言われ、あきらめざるを得なかった。

 同じように「揺さぶられっ子症候群」を疑われ、子どもが一時保護されている他の家族と知り合い、「苦しいのはうちだけではない」と少し気が和らいだこともあった。ただ、どうすれば子どもを取り戻せるかという答えはどこにもなかった。

 事故から1年が過ぎた18年9月、まさかと思っていたことが起きた。刑事が突然自宅にやって来て、妻が傷害容疑で身柄を拘束された。

 「逮捕は不当だ」と訴えると、刑事は「なぜそこまで妻を信じられるんだ」と聞いてきた。息子は、結婚13年目にしてようやく生まれた宝物だった。妻は、生後2カ月のころは息子の夜泣きでつらそうにしていた。それでも、泣いても抱っこで落ち着かせることができるようになり、子育てを少しずつ楽しめるようになっていく姿が目に焼き付いていた。「だから妻が虐待なんてあり得ない」。そう言い切った。

 ▽ひととき

 子どもが連れて行かれ、妻も逮捕されてしまった自宅の一室に、自分一人だけが取り残された。静まりかえった夜に湧き上がってきたのは、悲しみよりも「自分には何ができるだろうか」という闘争心だった。父として、夫として、もっとタフにならなければ家族を支えられないと思った。

 結局、妻の勾留は認められず、逮捕の2日後に釈放された。年末に不起訴となり、そこから3カ月後に息子が戻ってきた。離れ離れになってから、1年4カ月もの時が流れていた。

 今春、息子は特別支援学校に通い始めた。「学校」と聞くと喜び、運動会では歩行器を使いながらボールを蹴れるまでに回復した。ただ、現在もつきっきりの介助が必要で、将来どれくらい自立できるのかは分からない。

 リビングに寝そべる息子をくすぐりながら、妻が漏らした。「離婚を切り出されたり、疑われたりしていたら乗り越えられなかったと思う」。疑う気持ちなど一度も抱かなかった。それは共に過ごした家族でなければ分からないだろう。

 「一家3人でいられる時間は、何物にも代えがたい」とかみしめるようになった。ありふれた休日のひとときも、これが当たり前ではないと知っているから。

(敬称略、文・帯向琢磨、写真・今里彰利、2023年10月21日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

 

【元気に動き回る息子をつかまえて、妻と一緒に抱きしめる菅家英昭。支援学校の運動会でも元気な姿を見せた=大阪府内】