長期連載‐国内

(34)これは僕の投げ方じゃない 人に教える怖さ原点に

 プロ野球オリックスや西武などでプレーした水尾嘉孝(みずお・よしたか)(55)は、プロ野球史上2人目の契約金1億円ルーキーだった。それは同時に「消えたドラフト1位」と呼ばれる過去でもある。順風とは言えない選手時代を過ごし、現役引退後は15年近く野球から距離を置いた。

 

【真夏のグラウンドで子どもたちの練習を見守る水尾嘉孝=福井市】

 ▽裏の意味

 父親に考えなさいと言われて育った。食事前のテーブル拭き。「拭いたのか」と聞かれて「拭いた」と答えるとたしなめられた。「拭けというのはきれいにしなさいという意味。言われたことをやるのではなく、言葉の裏の意味を考えなさい」

 気になることは、何でも聞かずにはいられない性分に育った。野球で高知・明徳義塾高や福井工大に進んでも、その性格は変わらなかった。先輩やコーチに練習の目的を尋ねては「黙ってやれ」「おまえは一言多い」とあきれられた。意図を知るのは大事だと思いながら、相手に言い返されると、それ以上は聞けない情けない自分もいた。

 1990年のドラフト会議前に、足がしびれる症状が現れるようになった。プロに行くのは難しいと感じていたが、スカウトは「プロのトレーナーに診てもらえば治る」と太鼓判を押した。周囲の期待も感じ、断る選択肢はなかった。

 大洋(現DeNA)に入団したものの、スカウトの話は伝わっていなかった。トレーナーが診てくれることはなく、試合での投球は足の状態の良しあしに左右された。プロ初先発で完投したかと思えば、次の登板では一回途中KO。コーチには「鍛え方が足りないからだ」と突き放された。

 球団は万年赤字で、打撃投手が不足していた。しばしば2軍の投手が駆り出され、水尾も登板前日に呼ばれて調子を崩したことがあった。使い捨てのような扱いに納得できず、次に声をかけられた時には拒否した。

 ▽頭を使え

 あからさまに干され、全体練習から外された。後悔はなかったが、一人では投球練習ができない。育成担当のコーチに頼み込むと、渋々球を受けてくれるようになった。

 一緒に練習を始めると「どうせやるなら、頭を使え。足が動かないのなら、動かないなりに考えろ」と言われた。足の状態に気付いてくれていたことが、うれしかった。

 鏡の前でシャドーピッチングを繰り返した。「効率よく球に力を伝えられれば、力を入れる必要はない」と教わった。答えは物理法則にあると理屈で説明され、初めて経験が知識とひも付いていく感覚を手にした。自分の頭で考えられるようになることが楽しかった。投球の原理が理解できると足の状態が悪くても抑えられるようになった。

 95年にオリックスに移籍し、翌年2軍で調整中のことだ。1軍に昇格する後輩に「力任せではなく、バランス良く投げたら」と助言した。入団時は150キロの速球を武器にした選手だった。肘を痛めるなど故障がちで結果を出せておらず、かつての自分を見ているようだった。

 アドバイスをした直後、後輩はプロ初勝利を挙げた。声をかけると「これは僕の投げ方じゃない」とぼそっと口にした。小さくまとまりたくない。こんなストレートでは嫌だと言われた気がして言葉を返せなかった。

 人に教える難しさと怖さを知った。以降は聞かれれば答えるようにはしたが、自分から教えることはなくなった。

 選手として最後は米大リーグにも挑戦した水尾だが、その後も故障との闘いは続き、2006年2月に引退を決めた。

  

【2000年8月、西武戦に先発したオリックスの水尾嘉孝。この後西武へテスト入団、大リーグ挑戦と現役を続行した=神戸市(共同)】

 ▽言葉を届ける

 野球に未練はなかったが、19年に母校の福井工大からコーチの話をもらい、付属中・高の硬式野球部のコーチも引き受けた。久しぶりに足を踏み入れたグラウンドは、体が動く限り立っていたいと思える場所だった。

 同じ年、オリックスの後輩に再会し「水尾さんに教えてもらったことは正しかった」と殊勝なあいさつをされた。横手投げに変えたり、上手投げに戻したりとその後は苦しい経験をしていたからだろう。「自分なりにアレンジして受け取れば良かったのに、当時は余計なことを言われたと感じたんです」

 あの時と言ってることが違うじゃないかと苦笑しながら聞いていたが、はっと気が付いた。故障に苦しんだ時、コーチの言葉を素直に聞けたのは、足の状態を理解してくれていると感じたからだった。だとすれば、自分はこの後輩のことをどれだけ考えてコーチングをしただろうか。

 今指導している中学生は、怒られたと感じたら耳をふさいでしまう。言葉を届けるために選手を観察して目を見て話すことを心がける。自分で考えて野球ができるようになってほしいと願いながら声をかけ続けている。

 3年だけのつもりだったが、気付けばコーチになって5年目を迎えた。教えるという営みの奥深さに、日々魅了されている。

(敬称略、文・石原秀知、写真・今里彰利、2023年9月16日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

 

【キャッチボールで声をかけながら体の使い方を説明する水尾嘉孝。すぐには理解できなくても繰り返し伝え、自分で考える習慣が身につけばと願う=福井市】