長期連載‐国内

(32)おまえの努力が足りない 再生懸け意地ぶつけ合う

 朝一番、社長の父は全従業員を宴会場に呼び集め、旅館が破産したことを告げた。7代目を継ぐはずだった専務の白木浩一郎(しろき・こういちろう)(51)は、黙って傍らに立っていた。

 父は従業員に頼んだ。「無報酬になるだろうが最後のお客さんがチェックアウトするまでの6日間、営業を継続したい」

 無言でうつむいていた従業員たちは、営業時間になると持ち場に散らばった。葬式のような朝の雰囲気はうそみたいに、皆が顔を上げ笑顔で接客している。「本当につぶれたんですか?」。客が信じられないという様子で尋ねてきた。

 山口県長門市にある老舗旅館「白木屋グランドホテル」は2014年、創業150年を目前に経営難で倒産した。世の中に閉館が伝わると、図らずも予約が殺到した。

 「ここで結婚式を挙げた」「家族で行った思い出の場所」。最後の数日間は、満室のまま営業を終えた。たくさんの人に支えられた旅館だったことを白木は思い知った。

 

【破産が告げられた後の営業で「白木屋グランドホテル」の従業員らと宿泊客を見送る白木浩一郎(右から2人目)。右端が社長の父親=2014年2月、山口県長門市(本人提供)】

 ▽坊ちゃん

 東京で勤めていた大手商社を辞め、地元に戻ったのは2000年、28歳の時だ。父が心筋梗塞で倒れた。病院に駆けつけた息子に、開口一番に言った。「帰ってこんか」。漠然と思っていたその時は、想定より早くやってきた。

 だが、経営のことも旅館のことも何も知らない。知っていたら、ちゅうちょしたかもしれない。社長の父と会長の伯父の下、専務として実質的な経営を担った。フロントや仲居さん、調理師など従業員は総勢約130人。緊張の中、あいさつ回りをすると「だっこしていた坊ちゃんが帰ってきた」と喜ばれた。

 最初の年、売り上げは14億円を超えたが、赤字だった。すぐに経費を削減した。料理の質を改善し、ブログでの情報発信など、やれることはすべてやった。

 帰郷した働き盛りの跡取りは、古びた街にとって「期待の星」だった。商工会議所から消防団まで、あらゆる地元団体に参加し、当たり前のように休日はなかった。

 3年で収支が改善し、再生の光は差したが、以降は右肩下がり。毎月数百万円の支払いに追われたが、「待ってくれ」と業者を説得した。老朽化した施設の至る所でトラブルが起きる。営業を終えると、手にはじっとりと汗がにじんだ。

 帰郷後に結婚した妻は娘を出産した。だが、家族との時間を大切にする余裕は全くなかった。

 

【心地よく整備された、温泉街の川のほとりに腰かける白木浩一郎。ホテル跡地(右側)の対岸にある自宅でカフェを開いた=山口県長門市】

 ▽時代遅れ

 バブル期の増改築で、旅館は宴会場や100を超える客室を抱えていたが、白木が専務に就いた頃、旅行形態は団体から個人へとシフトしていた。インターネットからの直接予約も普及した。口コミを見れば「老舗」ではなく「ただの古い旅館」と評されていた。旅行業者からは値下げの要求が続き、次第に価格破壊の波にのまれていった。
 設備の故障が相次いだ13年、耐震診断が義務づけられ、大規模改修が必要になった。

 もう、借りるあてはどこにもない。役員会の議題も、解決できない問題ばかりだった。それでも、営業を担ってきた伯父はいつもの昔話を始める。「私は駅前で旗を振ってお客を連れてきた。おまえの努力が足りない」

 黙って聞いていた白木も、禁断の言葉と分かりながら言い返す。「考え方が古い。時代遅れだ」。何度も繰り返した家族げんかが、何時間にもわたって展開される。

 父はただ黙っていた。ホテルを育て繁盛させた伯父の下で、父は人件費を「生活費」と呼んで絶対に削らず、付き合いの長い業者を大切にしてきた。従来のやり方を守りたい伯父と父は同じ気持ちなのだろう。意地のぶつかり合いは、どこまでいっても平行線だった。

 ▽恐竜

 14年1月に破産が決まり、翌年ホテルの解体が始まった。自宅の窓から、客室や宴会場が取り壊されるのが見えた。

 父はその直前に膵臓(すいぞう)がんで他界した。伯父もその期間は地元にいなかった。かつてのにぎわいを知る2人が、この光景を見ずに済んだのは、せめてもの救いだった。

 白木にとって引き継いだホテルは恐竜のように巨大で、乗りこなそうにも身に余る存在だった。「こんな小さな所に立っていたんだ。あんなに大きかったのに」。更地を見てそう思った。

 肩書を失い、地元団体のすべての役職から任を解かれた。街の期待を背負っていたはずが、従業員すら守れず、家庭も顧みない経営者だった。

 残務整理が終われば、日雇いのペンキ塗りで生活費を稼いだ。「今更、他人の目を気にする気も起きなかった。一番身近な人たちをおろそかにしたくない」。ゼロから体を使って働くのは、逆に気持ちがよかった。

 跡地は新たなホテル業者が買い取り、街は姿を変えた。自分はと言えば2年前、街の中にある自宅の1階でカフェ兼レンタルスペースを始めた。

 「小さく、楽しく」。今は乗りこなせる大きさの城があり、家族がいる。

(敬称略、文・佐藤萌、写真・今里彰利、2023年9月2日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

 

【自宅で開いたカフェの店番をする白木浩一郎=山口県長門市】