長期連載‐国内

(30)捨てられそうになった子 仏門でほどけた執着心

 彫刻家の福江悦子(ふくえ・えつこ)(54)は10歳のとき、伯母からこう言われた。「おまえは生まれてすぐ、捨てられそうになったんだよ」

 北海道旭川市の生家はその頃、立て続けに兄妹が生まれ困窮していた。家族会議が開かれて両親が決心を明かしたのだという。祖父に問いただすと「でもなんとかみんなで育てようってなったんだよ」と否定しなかった。

 自分はどうせ捨てられていた子なんでしょ―。母と口論になるとつい口走ったが、そのたびにはぐらかされた。中学生の時に問い詰めると、母はこう言った。「今生きてるんだからいいじゃない」。ごめんねと言ってほしかった。それがかなわなかったことに、傷ついた。

【制作中の福江悦子。北海道産の木材を、チェーンソーやのみを使い大胆に、繊細に彫り進む=北海道小樽市】

 ▽欠落感

 幼い頃から離人感のようなものがあった。高校を卒業して地元の信用組合に入ったが、不安神経症を発症して早々にやめた。22歳の時、交際相手について行って東京で暮らしたが、拒食症になって帰郷。その関係もいつの間にか終わった。

 25歳で22歳年上の人と付き合った。自分を包んでくれる大きな愛を求めた。だが自分が愛されたい形で愛されないという思いがいつも強かった。祝福されて生まれてこなかったことと、どこかで結びついていたと思う。

 結婚願望も強かった。「ちゃんとした人間だと見られたい」という思いは、欠落感の裏返しだった。なんでこんなに不安なんだろう。どんなに恋愛を重ねても、満たされないのはなぜだろう。

 30歳の時、同居した相手は寺の住職だった。結婚しなかったのは、先妻との離婚が成立しなかったからだ。その影響で仏教に触れるうちに、これこそが自分の迷いに答えをくれる道ではないかと思った。

 幼い頃から繰り返し同じ悪夢を見る。知らないおじいさんの顔のしわが虫になってぼろぼろと崩れ、恐怖におののいていると突然、地割れがして真っ逆さまに落ちる。生きていることへの根源的な不安。仏教はそれを解いてくれるのではないか。2001年、1年間で僧籍が得られる大谷専修学院(京都市)という学校に入学する。

【得度式を終え、僧侶となって間もないころの福江悦子=2002年、京都市(提供写真)】

 ▽母の孤独

 入学時の面接で、これまでの心の遍歴を語った。すると面接に当たった学長は言った。「あなたはよくここまでたどり着けましたね」。愛を巡る葛藤の末に仏門に近づいた縁を、祝福してくれた。自分はここに来ることを、30年も願われていた。おいでおいでと招かれていたのだ。やっと安住できる場所に来られたと思うと、涙が出た。

 ある日の授業で「親も昔は子どもだった」という言葉に触れる。それが頭から離れず、母に電話をしてこう言ってみた。「私を産んだとき、母さんも大変だったんだね」。母は電話口で泣いた。「大変だったんだよー」。母はまだ二十二、三の娘さんで、貧乏のどん底にあった。自身の母親を早くに亡くし、孤独だったということに思い至る。

 憎しみばかりではなかった。幼いころ一緒に弁当を持ってサイクリングに出かけて雨に遭い、ずぶぬれになって家に帰ったこと。図画で賞を取ったとき、褒美に木箱入りの絵の具を買ってもらったこと。楽しい思い出を台無しにしたくなかった。それにはゆるす、という心が必要だった。生まれ変わったような気がした。1年後、得度した。

【福江悦子の彫刻作品=北海道小樽市】

 ▽出会いと別れ

 それからの人生が順風満帆だったわけでは決してない。特に男女の関係においては。

 僧籍を得た後、住職とはさまざまな確執があって別れた。学院で言われた「仕切り直す勇気を持ちなさい」という言葉が後押しした。

 36歳で結婚した相手とは10カ月で離婚。今も治療を受けているうつ病は、その時に発症した。それでも生涯のパートナーが欲しいと思って相手を探していたところ、彫刻家と知り合い結婚した。

 その夫から彫刻を学んだ。才能があったのだろう、学び始めて1年後には公募展に入選するまでになった。だが教師としては大きな恩義があるその男性とも、生活上の齟齬(そご)があり、4年で別れた。

 いずれの相手にも真剣に向き合った。だがみんな自分を愛することと人を愛することのバランスが取れていないのだと思う。それは自分もそうだ。だが、出会いと別れはいつも何かをもたらしてくれた。必要なときに、必要な人と巡り合えたのだと今は思う。

 福江の彫刻作品は、大まかな構想があるだけで、現れ出る形に導かれるように彫り進められる。最近の個展に出した「凍裂」という作品は、制作中に大きく割れてしまった胸像を、そのまま展示したものだ。偶発的に生まれた表現を受け入れる。

 仏教に「柔軟心(にゅうなんしん)」という言葉がある。物事にとらわれず、柔軟に調和する心という意味だ。それはどこか彫刻における、また生き方における福江の姿勢を思わせる。かつての愛を巡る激しい執着がほどけた今、自分の行き先が楽しみだ。

 もちろん、新しい恋の行く末も。

(敬称略、文・岩川洋成、写真・藤井保政、2023年8月19日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

【福江悦子の作品=北海道小樽市】