長期連載‐国内

(26)避難の経験、そっと横に 切り離そうと思ったことも

 2015年春、福島大4年だった高橋恵子(たかはし・けいこ)(30)は、仙台市で開かれた国連防災世界会議に登壇した。11年3月11日の東京電力福島第1原発事故で故郷を追われた避難者として、経験や放射線教育の重要性を英語で訴えた。「今回の話が教訓となり、原発事故が二度と起きないことを願います」

 原発事故後に何度もこなしてきたスピーチは、その日も堂々としていた。「福島を背負っているような気持ち」だった。

 しかし、その頃から使命感と自分の本心がうまく調和していないように感じ始めていた。

【夫ダニエル(左)と手をつなぎ、慣れ親しんだ海岸を歩く高橋恵子。浜風を浴びながら「ここに来ると心が癒やされる」と笑顔を見せた=福島県いわき市】

 ▽温度差

 福島県大熊町で、3代続けて林業を営む家に生まれた。地域史に詳しい父親と一緒に、幼いころから町を散策するのが好きだった。集落にある山の神をまつった石碑の前を通りかかると手を合わせ、自然の恵みに感謝するのが日常だった。

 原発事故が起きた当時は高校3年生。自宅は原発から約5キロの場所にあり、避難指示が出されたため親戚の住む山梨県まで避難した。翌4月、家族と離れて1人、福島大(福島市)に入学した。

 強制避難の経験者は周囲にほとんどいなかったが、福島県内から多くの学生が集まる環境なら事故について語り合えると期待していた。だがある時、同級生の1人に「つらかったことを聞いてほしい」と話しかけると、のらりくらりと話題を変えられた。やりとりを見ていた先輩からは「話さなくていい」と諭された。放射性物質の影響を気にしているのも自分だけ。温度差を感じた。

 ちょうど、首都圏の民間団体が米国で被災体験をスピーチする若者を募集していることを知った。手を挙げ、12年にニューヨークなどを巡った。真剣に聞き入る聴衆を前に、手応えを覚えた。

 これを契機に、国内外での講演や取材などの依頼を次々引き受けた。大熊町の会合に若者として参加し、町の復興について意見した。周囲から政治家になるよう勧められたこともあった。

【国連防災世界会議の会場でスピーチする高橋恵子=2015年3月、仙台市(染谷宗秀撮影)】

 ▽引きはがしたい

 ただ、いつも高揚感に包まれていたわけではなかった。

 15年3月上旬、国連防災世界会議の準備のため、大熊町の自宅に久しぶりに一時帰宅した。「丸ごとタイムカプセルみたい」。防護服を着て自室に入ると、懐かしさがこみ上げた。小中学生のころの作文や通知表、交換日記帳がそのまま残っていた。しかし、雑草が生い茂った住宅街は静まり返っていた。県内外に散らばった幼なじみが、盆や正月に集まる場所もない。日常が戻るとは、思えなかった。

 国や町は町内のハード整備などに巨額の予算を投じ、復興事業の歩みを止めない。「帰れるのでは、とかすかな期待を抱いてしまう」。故郷への愛着と諦めのはざまで中ぶらりんな状態が続き、苦しかった。「もう帰れない」とはっきり宣告してほしかった。

 だが、世界に向けて事故を発信するのに精いっぱいで、自分の内面に向き合う余裕がなく、人前では明るく振る舞ったが、1人になると激しく落ち込んだ。病院ではうつ病と診断された。

 就職した後も体調不良が続き、働けなくなった。いつしか「避難者であることを引きはがしたい」と願うようになった。原発事故について公の場で語ることもやめた。

 ▽背伸びせず

 20年11月、大熊町の自宅で解体作業が始まった。帰る場所がなくなったことで、区切りが付いた気がした。同じころ、うつ病ではなく、双極性障害と診断された。「自分の努力の問題なのではなく、これは病気なのだ。後回しにしてきた心のケアをようやく始められる」と受け止められた。

 夫で福島県立高講師のダニエル・ロドリゲス(30)が、そばで支えてくれた。エクアドルに生まれ、経済危機の影響のため6歳で米国に移住。両親は苦労して生計を立て、より安定した職を求めて各地を転々とした。友人ができてもすぐに別れ、いつも孤独だった。

 大学卒業後の17年に外国語指導助手(ALT)として訪れた福島で2人は出会い、20年に結婚した。高橋は生い立ちを知り「別のストーリーだけれど、同じ経験をしている」と思った。

【夫ダニエルとビーチを訪れた高橋恵子=福島県いわき市】

 ダニエルは高橋に「最善を尽くし、後は自然の流れに身を任せること」と伝えた。幼いころから自分ではままならないことにもてあそばれてきたダニエルの処世術だった。「自分を信じていれば、いつかきっと良くなる」

 つらい経験をしながら穏やかなダニエルと過ごすうちに、高橋は気付いた。「事故の経験を無理やり切り離そうとするのではなく、自分の横にそっと置いておけばいい。他人にはない、私の一部をつくるものなんだ」

 高橋は現在、治療を続けながらダニエルと米国に移住する準備をしている。体調が悪く、思うように動けない日もある。それでも「背伸びせず、今までで一番自分らしく生きられている」と感じている。

(敬称略、文・三浦ともみ、写真・泊宗之、2023年7月22日出稿、年齢や肩書は出稿当時)