長期連載‐国内

(24)許されてここにいる 加害認識し悩みに耳傾け

 幼稚園の園長である沼田和也(ぬまた・かずや)(50)は疲れ果てていた。2015年、幼保連携型認定こども園移行のため、作業に取り組んでいた。山積みの書類を前に思うのは「自分は保育の専門家じゃない」。沼田は日本キリスト教団の牧師。ある地方都市の教会に併設された幼稚園を預かる立場だった。

 早朝から夜まで職員室に詰め、慣れない業務をこなす。空き時間に神学書を開くと、ベテランの副園長は「ここでは幼稚園の仕事だけしてください」。では、牧師のための時間はどこにある?

 ストレス解消はツイッターだ。園長業務に忙殺される自分が牧師らしく発言できる場。反応が多いと心が躍った。画面に没入する時間が増える。あきらかな依存だった。

 仕事には一生懸命だったが、ミスは出る。注意を受けて突然切れた。「なんやねん、真面目にやっとるやないか」。副園長に罵声を浴びせると、職員室を飛び出した。

 やってしまった。心配する妻の真由(まゆ)(42)に「死にたい、もうあかんわ」。沼田は長く精神科で投薬治療を続けてきた。入院を勧める真由の言葉に覚悟を決めた。主治医は言った。「閉鎖病棟に入ってもらいます」

 強い希死念慮や暴力性の懸念からだった。2カ月間の閉鎖病棟の生活が始まった。診断は発達障害。怒りが制御できずに切れる行為を繰り返して行き着いた場所だった。

【宇和島中町教会を久しぶりに訪れた沼田和也(右)と妻の真由。和也の牧師としての初任地であり、2人が暮らし始めた場所だ=愛媛県宇和島市】

 ▽被災と挫折

 沼田は神戸市に生まれた。医学部を目指し猛勉強していた高校時代、受験失敗の恐怖に駆られ、学校へ行けなくなった。留年した後に中退し自宅に引きこもった。

 それでも人から尊敬される医師になりたかった。医学部を見据えての勉強は続け、手応えが出てくる。1995年のセンター試験はよい点が取れたと実感した。「やっと手が届く」。その直後、阪神大震災に遭遇した。

 自宅は半壊し、外へ出たら多くの人が亡くなっていた。ストレスで過呼吸になり下痢が続き、結果は不合格。「自分を追い詰めるような受験はもう嫌だ」。友人の影響で高校1年に洗礼を受けていた沼田に勧められたのは、関西学院大神学部。入学時は25歳だった。

【18~19歳頃の沼田和也はイタリア映画に出てくるような帽子がお気に入りだった。大学受験に失敗し、自宅にひきこもっていた時期だという(提供写真)】

 ▽噴き出す怒り

 研究者を目指して大学院に進み、牧師になる実習としての夏期派遣で愛媛県宇和島市の宇和島中町教会を訪れた。

 実家から出たこともなく緊張していた沼田に、関係者は温かかった。「『ありのままのあなたでいい』と」。その教会に04年、牧師として赴任し、07年には兵庫県在住だったクリスチャンの真由とお見合い結婚する。

 ただ、知らない土地でストレスを抱え、ふとんから出られなくなった真由を怒鳴ってしまう。その場で謝ったが、激しい夫婦げんかをすると、食器を床にたたきつけた。

 子どもの頃からかんしゃく持ちだった。教会でも対人トラブルを起こした。「おれは悪くないのに、おればっかりが、しんどい目に遭う」

 不調の真由が故郷で過ごすようになり、離任を決めた。ただ、次の教会が見つからない。退職金と貯金が底を突いた。郵便配達のアルバイトを始めたが、上司は頻繁に暴言を吐いた。客に怒鳴られて土下座もした。屈辱で気持ちがすさんだ。

 反動は別の場で噴き出す。コンビニで店員がもたついていると、「この無能!」。街ですれ違った女性が軽くぶつかった際は「殺すぞ」と叫んだ。すぐに反省した。ただ、反論できない相手を選んで怒鳴っている。その自覚は明確にあった。

【久しぶりに宇和島中町教会を訪れた沼田和也、真由夫妻。牧師になり初めて赴任した教会で、新婚生活もこの地で始めた】

 ▽閉鎖病棟での内省

 切れた後に希死念慮が募る。入院はそれが限界に達した段階だった。自由の利かない閉鎖病棟の日々。驚いたのは主治医の厳しい態度だった。

 「『今まで大変でしたね』と言ってもらいたいのでしょう。問題を全て周りのせいにし、自分の『ありのまま』を受け入れてほしい。そんな考えでは同じ失敗を繰り返すだけ。自身と対話しなければ駄目です」

 主治医は辛辣(しんらつ)な言葉で沼田の考えを否定した。「侮辱だ」。そこでも切れた。椅子を蹴飛ばすこともあった。ただ、主治医は動じず診察の放棄もしなかった。

 相手はどう考えたと思うか。主治医はそれを繰り返し問うた。悔しかったが、反論はできなかった。閉鎖病棟で内省する中、被害者意識に凝り固まった自身の考えが少しずつ変化していった。

 主治医もクリスチャンで、生き方に苦しんだ経験があることを後に知った。「だから放っておけなかったのでしょうね。彼がいなかったら死んでいたかもしれません」

 現在、東京都北区の王子北教会で牧師を務める沼田は、さまざまな悩みを抱えて訪ねてくる人々の苦悩にじっくりと耳を傾ける。自分は多くの人を傷つけた加害者だが、訴えられもせずに許されてここにいる。その負い目を少しでも返したい。

 ただ、今は聴く側にいる自分が今後切れないと誓約することはできない。沼田にとって内省と社会復帰は現在も進行形だ。

(敬称略、文・西出勇志、写真・京極恒太、2023年7月8日出稿、年齢や肩書は出稿当時)