長期連載‐国内

(23)求め続けた女性の声 「自分に原因」責めた日々

 「おんな声」で話せば、見た目が多少男性のままでも「ボーイッシュな女の子」になれる。トランスジェンダー女性にとっての声の重要性を、工藤理江(くどう・りえ)(48)はそんなふうに説明する。声帯の使い方を自在に変え、普段は疑いようのない女性の声で話す。「ほら、こうすると男になるでしょ」。親しい友人にはおどけて男性の声を出してみせ、驚かせることもある。

 出生時の性別は男性。だが、幼いころから女性と自認していた。

 現在はボイストレーナーとして、東京都内でカラオケ店の一室を借りて教室を開いている。自身と同じトランスジェンダーの人を主な対象に「女性の声」を出せるようにレッスンする。喉の筋肉を鍛える地道なトレーニングから歌唱、会話のシミュレーションまで。十数年前、友人に頼まれてやり方を教えたことが、この仕事を始めるきっかけになった。

【ボイストレーナーの工藤理江は、自身と同じトランスジェンダーの生徒に「女性の声」を出せるようにレッスン。1時間の「教室」は、あっという間だった=東京・自由が丘】

 ▽暗中模索

 幼少期に「オネエ」と呼ばれる人をテレビで見た。外見は女性でも声は男性だと分かり、声が男女の判別に影響すると意識するようになった。声は多くのトランスジェンダー女性が共有する悩みのひとつだ。

 小学校高学年のころから、周囲の男子が声変わりしていくのに恐怖を覚えた。自分には変化がないはずだと信じたが、中学生になると、自分の身にも容赦なく同じことが起きた。好きな歌が歌えなくなり、活発だったのに無口な子になった。

 女性の声がほしい。

 その思いは気付けば行動に移っていた。高校卒業後、東京の専門学校に入学。千葉県八千代市の駅まで自転車で20分の通学路は人通りが少なく、声出し練習に最適だった。ペダルを踏みながら思い付いたフレーズをできる限り高い声で発した。

 成果を試してみようと1人でカラオケ店へ。マイクを握り、カセットテープに録音した。期待に胸を膨らませて再生すると、聞こえてきたのは「男性の声でも女性の声でもない。奇声だった」。

 ショックは受けたが、立ち止まるわけにはいかなかった。独学を始め、国内外の本や論文を読み込んだ。声帯の使い方を工夫して音域を変える必要があると次第に理解した。歌手が使うミックスボイスという手法も学んだ。

【2005年、千葉県船橋市の自宅で、女性の外見で生活し始めたばかりのころの工藤理江。写真を撮られるのが苦手で、昔の写真はあまり残っていない(提供写真)】

 ▽手応え

 学校卒業後も試行錯誤しながら、それでも男性として生活を続けていた。いきなり女性の声で社会に出るのは怖い。まずは実践の場がほしい。そんな時に「テレホンクラブ(テレクラ)」の存在を知った。

 テレクラでは男性客からの電話に女性が対応し、性的な会話もする。一般女性が電話に出るという建前だが、実際はアルバイトの「サクラ」がいた。求人に応募し、鍛えた女性の声で客の相手をすることにした。親密な会話を求める男性に女性の声を使えばテスト代わりになると思った。

 自主練習で得たおぼろげな自信は、確信に変わっていく。男性たちが満足げに電話を切る度に、成功体験が積み重なった。やがて店舗でトップセールスを記録した。

 その後、いくつか職を経験し、雑誌のライターになった。当時30歳。ある日決意して女性の声を本格的に実生活で使い始め、服装や髪形も変えた。出版社の編集者たちは驚きつつも、好意的に受け止めてくれた。

 数日後、編集者と一緒に知り合いの取材先を訪ねた。相手は戸惑った様子ではあったが、特に何かを指摘されることはなかった。

 ただそれ以降、編集部から仕事の発注がなくなった。取材先から苦言を呈されたことは容易に想像がついた。

【「女性の声」を出せるようにレッスンする工藤理江=東京・自由が丘】

 ▽テキスト

 職を探してある会社に履歴書を提出すると「性別と外見が違う」と断られた。現実の社会は一筋縄ではいかなかった。気を抜くと、突然涙がこぼれるようになった。

 トランスジェンダーや性同一性障害について、今ほど知られていない時代を生きてきた。約30年間、性自認が一致しない原因が自分にあるのではないかと自問自答した。

 誰に頼っていいかすら分からなかった。どうすれば、この状況から抜け出すことができるのか。ベクトルは自分自身に向かった。

 社会の理不尽さに憤りを感じるよりも「まだ女性になれていない自分」に落胆した。女性として社会に受け入れられたい。そうしなければ生きていけないと思い詰めた。

 費用をためて性別適合手術を受け、戸籍の性別を変更した。女性の声の教室を始め、同じ境遇の人に感謝されるようになった。付き合っていた夫と結婚し、ようやく人に頼れるようにもなった。

 教室で使うテキストは当初、わずか2枚の紙だったが、今は約100枚に増えた。社会に拒絶されたあの日から、より「完璧な女性」を求め、しぐさや言葉遣いなど、新たな項目を加え続けている。

(敬称略、文・伊藤元輝、写真・藤井保政、2023年6月24日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

【レッスンするボイストレーナーの工藤理江=東京・自由が丘】