長期連載‐国内

(18)気丈な妻、記憶喪失に 失われた時間取り戻す

 10年前のその日は前触れなくやって来た。「なんであそこに奈央(なお)の写真があるの?」。山本秀勝(やまもと・ひでかつ)(71)が帰宅すると、仏壇に飾られた次女の遺影を見て、妻のみよ子が不思議そうに聞いてきた。

 あたりをキョロキョロ見渡し、混乱している様子の妻を見て、明らかに不自然だと感じた。

 「奈央はいまいくつだ」。娘の年齢を尋ねると「高校生でしょ?」。十数年分の記憶が欠けてしまっているようだった。

 病院に向かう車中も「なんでここにいるの」と繰り返し、すぐに入院することになった。この時初めて、妻の心は限界を迎えていたのだと悟った。「すべて自分のせいだ」と山本は思った。

 

【 帰省した娘の奈央(左)、妻みよ子(右)と行きつけのスナックでカラオケを歌い、大いに楽しむ山本秀勝=2005年9月、北海道旭川市(提供写真)】

 ▽無言
 奈央が交通事故で死亡したのはその3年前にさかのぼる。2010年7月、28歳の若さだった。

 高校卒業後に北海道旭川市の実家を離れ、東京で暮らしていた。小学校の教員採用試験に合格し、記念旅行の最中に岡山県でオートバイを運転していて居眠り運転のトラックに追突された。

 数カ月後、謝罪のため自宅にやって来たトラックの運転手に、山本は「娘を返せ」と食ってかかったが、みよ子は全く口を開かなかった。

 街で娘と同年代の女性を見るたびに胸が詰まり、同級生の結婚を聞いた時には「そんな未来もあったかもしれない」と妻の目を気にせずおえつを漏らした。感情をあらわにするのは、いつも山本の方だった。

 みよ子は仕事一筋の夫に文句一つ言わず、ささいな相談にも乗ってくれた。読書が好きで、励みになる言葉を本の中に見つけると、そっと教えてくれた。「一生懸命生きて修行を積んだ人が天国に行く。悲しいことではないよ」。信頼していた妻の言葉は特別で、つらい気持ちを紛らわせることができた。

 ▽泣き続ける
 山本は旭川市の高校を卒業した後、地元のガス会社に入社し、08年に子会社の常務になった。仕事の付き合いが多く、家でゆっくり過ごすのは年に数日しかなかった。

 

【幼稚園で開かれた卒園児とのお別れ会で、マジックを披露する山本秀勝。熱演に黄色い声援が飛んだ=北海道旭川市】

 変わった趣味ができたのは09年のことだ。旅先のタイで、面白半分で小さな手品道具を買った。居酒屋で同僚に披露すると、居合わせた老人施設の理事長に「うちでやってくれませんか」と頼まれた。活動は口コミで広まり、保育園などでも演じた。地域に貢献している充実感があった。

 事故から3カ月後、友人に「そろそろ再開しないんですか」と声をかけられた。娘の死後、舞台は全てキャンセルしていた。「子ども好きだった奈央のためにもやった方がいい」。みよ子に背中を押される形で、半年後に活動を始めた。

 奈央を失ってから、みよ子は夫の前で気丈に振る舞った。だが、友人に会いたがらなくなり、家にこもりがちになっていたことに、山本は確かに気が付いていた。

 ふさいだ気分を開放する場を家の中に見いだせず、押し殺していた悲しみが爆発したのかもしれない。記憶を失ったみよ子を目の前にして、何もしてやれなかった自分を責めた。

 記憶が戻らなければ、いずれ奈央の死を説明しなければならなくなる。悲しみを2度も経験すれば「今度こそ、みよ子は本当におかしくなる」。そう考えると怖かった。

 幸い記憶は1日で戻った。医師は一時的に記憶が抜け落ちる「一過性全健忘(いっかせいぜんけんぼう)」と診断した。その日、みよ子は午前3時ごろに目を覚まし、奈央が死んだことを思い出して3、4時間泣き続けたという。山本の前でそんな姿を見せたことは一度もなかった。

 ▽罪滅ぼし
 失われた時間を取り戻すかのように、山本は妻と共に過ごそうと努めた。休日に時間を見つけては、車で川や山へ連れ出す。みよ子は遠ざかっていたスケッチを再開し、豊かな自然を前に表情をほころばせた。

 山本は「会社を辞めたら2人であちこち出かけて、おいしいものも食べて過ごすべ。手品も一緒に行こう」と約束した。

 17年に子会社の社長を退任すると、約束通り2人で公演に出かけた。裏方としてみよ子が道具の出し入れを手伝うことで、マジックの流れもスムーズになり、失敗がなくなった。

 それから1年ほどたった頃、以前から患っていたみよ子のがんが再発した。「1人にさせてごめんね」「正月は私がご飯作るから」。入院先から届くメールにも夫を気遣う言葉が並んでいた。

 20年12月、妻は帰らぬ人になった。罪滅ぼしのつもりで過ごした時間は、夫にはかけがえのないものになったが、仏壇の前に座ると「もっとできたことがあったはずだ」と後悔がこみ上げた。

【山本秀勝の得意技=北海道旭川市】

 手品は今も続けている。「今日もやってきたべ」。公演後に妻に報告するのが習慣だ。「秀勝さん良いことやってるね。その調子で頑張って」。みよ子はそんなふうに言ってくれるだろうか。

(敬称略、文・小島拓也、写真・藤井保政、2023年5月13日出稿、年齢や肩書は出稿当時)