長期連載‐国内

(17)しゃべるのは苦手だけれど 聞く力武器に看護を

 「何言っとんのかわからん。ちゃんとしゃべれ」。電話口の男性はいら立たしげにそう言った。名古屋市にある精神科に特化した訪問看護ステーション「らしさ」の看護師、伊神敬人(いかみ・ゆきひと)(44)が、電話で病院に患者の病状報告をしたときのことだ。「またか」。伊神は、そんなときたまらなく悲しくなる。

 小学校に上がったとき、初めて「あれ、自分は変なのかな?」と思った。「い、い、い、いかみ」というしゃべり方を同級生がまねして笑う。それまでは家庭では気にならなかったのに。

 父親にも、祖父にも吃音(きつおん)があった。「僕は吃音のエリートです」。今では定番の自虐ネタだが、実際、吃音は遺伝的な要素が大きいということが近年、分かってきている。だが、かつて「まねをするとうつる」「親の愛情が薄いなど家庭環境に問題がある」と根拠のない「原因」が常識とされ、今でもそう誤解している人が多い。

  

【訪問看護を利用する70代の男性から話を聴く伊神敬人。「何をこの人は求めているのか」何回も通い、関係性をつくっていく。新人の看護師も同行し、話に加わった】

 ▽いじめ
 特にサ行が苦手だ。発語しようと思うと、喉が締め付けられるようになる。言葉が出てこないからあせる。あせると余計に言葉が出てこなくなる。吃音の子はそのうち、苦手な音を避けて、別の言葉に言い換える方法を身につけていく。頭の中で常にその作業をしているので、一日が終わるとぐったりしてしまう。

 「ゆっくりしゃべるとどもらないはずだよ」。と母親は言った。教師は口々に「はっきりしゃべれ」と〓(口ヘンに七)った。守ってくれるはずの人が守ってくれない。心の支えはドラえもんだった。その日のできごとをぬいぐるみに話しかける毎日。「ドラえもんはのび太が何を言っても受けとめてくれる。そんな存在が欲しかったんだと思う」

 しつこくからかってくる同級生と、同じ中学に進学した。そこからいじめがエスカレートしていった。かばんを隠される。教科書がなくなる。トイレの個室に閉じ込められ、上からホースで水をかけられたこともある。教師に訴えても取り合ってくれない。いじめの主は教師の前ではいい子を演じていた。

 ▽将来の夢
 友だちはいなかった。ある日、家の近くにあるゲートボール場で一人遊んでいたら、そこの高齢者介護施設の人に「手伝わないか」と誘われた。市のボランティアに登録し、お年寄りの話を聞いたり車いすを押したりする日々は楽しかった。

 周りからは無口な頑固者と思われていた男性が、自分だけに戦争の話をしてくれたりお菓子をくれたりする。「自分が認められた気がして、うれしかった」。伊神はこのとき、将来は看護師になりたいと思った。「しゃべるのは下手だけど、聞くのは得意だから」

 仏教系の男子高に入るころ、話せない言葉が増えた。日直で起立、礼が言えない。朝、校門で立っている生活指導の教師が怖くて「おはようございます」が言えない。

 だが、思い切って応援団に入った。「やさしい勧誘にだまされた」と言うが、勇気のいる一歩だった。不思議なことにエールも応援歌もどもらなかった。友だちもできた。3年生の時には教師に勧められて生徒会長を務めるまでになった。

 

【男子高の応援団時代の伊神敬人(提供写真)】

 2浪して念願の看護学校に進学。朝と夜に精神科病院で看護助手として働いた。その頃には伊神は、物おじしない青年に成長していた。病棟で「統合失調症のことが分からないから教えてくれませんか?」。患者に聞いて回った。「しゃあない、講義してやるか」と患者。変わったやつがいるとうわさになり、やがて病院の名物看護師になった。

 ▽どもってもいい
 2013年、札幌市の病院で働き始めた男性看護師が自殺した。吃音があり、試用期間を延ばされていたという。ショックだった。「どもっててもいいじゃん」。そう言ってあげられることはできなかったのか。吃音を理解してくれる同僚に囲まれる恵まれた環境が、決してまだ普通ではないとあらためて思い知った。

 病院で23年間働き、看護師長まで務めた後、一昨年、現在の訪問看護ステーションに移った。精神疾患を抱えた患者たちの多くは、退院してもすぐ病院に戻ってくる。そのケアを、地域でやってみたかった。手応えがある。病院と違い、患者一人一人とじっくり向き合えるからだ。

     

【ミーティングで拍手する伊神敬人】

 吃音は年をとるごとに軽くなることが多いが、伊神の場合は年々重くなってきている。電話で話すのが特に苦手だ。コンビニで注文できなくて、何も買わずに出ることもある。看護の現場でも、もどかしさは常にある。

 だがこんなこともあった。「自分も病気を抱えて大変だけど、伊神さんが必死で話す姿を見ていると勇気が出てくる。毎回来てくれるのが楽しみです」。統合失調症の患者がそう言ってくれた。うれしかった。

 聞く力を持つ吃音者は、看護に向いていると思う。その道を、自分が先頭に立って切り開いていこう―。伊神は力強くそう思っている。

(敬称略、文・岩川洋成、写真・京極恒太、2023年5月6日出稿、年齢や肩書は出稿当時)