長期連載‐国内

(15)絵に導かれ外の世界へ 場面緘黙、海に癒やされ

 いつも心の中には海があった。部屋いっぱいに広がるキャンバスは三上真穂(みかみ・まほ)(24)の体よりずっと大きい。暗い青の中に原色が散り、打ち寄せる波が描き込まれている。「地元の、種差(たねさし)海岸の海です」と穏やかな声で話す。美術大の卒業制作として、自身の心象風景を描いた絵には「洞然(どうぜん)」と名付けた。

【自宅のアトリエで高校1年の時に描いた自画像を手にする三上真穂。床の上に広げた美大の卒業制作は、自身の心の内を描き出した=青森県八戸市】

 幼い頃から、学校など特定の場面になると話すことができなくなる「場面緘黙(かんもく)」と向き合う中、いつも心を癒やしてくれたのが海だった。

 ▽暗闇
 話せなくなったのは小学校に上がった頃から少しずつ。はっきりした理由はわからない。けれど自分の内面を暴かれる恐怖を常に抱えていた。「声の出し方が分からなくなるというか、動かなくなるというか」。外では話すことも、笑うこともできなかった。2008年、母に連れられて行った病院で、場面緘黙と診断された。

 唯一自分を表現する手段は絵だった。「何描いているの?」。教室の隅で絵を描いていると時々同級生が声をかけてくれた。返事はできず、うなずくのもやっとだったが、うれしかった。一方で「話さなくていいなんてずるい」「感情がないの」とからかわれる。話したいのに、その苦しさを伝えることもできない。6年生の頃から学校に行けなくなり、引きこもりがちになった。

 毎朝出かけていく家族を見るたび罪悪感が募る。「学校、行きなよ」。2歳下の妹の心配も素直に受け取ることができなかった。わかってるよ。でも、できないんだよ。

 悩みが募るにつれ、家族との会話も苦しくなっていった。誰ともつながれず、自分だけ世界から切り離されているようだった。「自分の存在って、何なんだろう」。ふさぎこんだ気持ちを吐き出すように、誰にも見せない絵を描き続けた。この先どうなってしまうんだろう。何も見えない。未来は真っ暗闇だった。

 ▽海へ
 「母は葛藤していたと思う」。娘が学校に行けないこと、話せないこと。けれど理解しようと努力し、寄り添ってくれた。

【種差海岸に打ち寄せる波=青森県八戸市】

【種差海岸に立つ三上真穂=いずれも青森県八戸市】

 自然が好きな母はいつも、車で外へと連れ出してくれた。だが人目が怖くて車から降りられないことも。牧場を訪れたとき母は1人で車を降り、しばらくして馬を引き連れて戻ってきた。窓を開け、鼻先に触れた。気持ちがほぐれていった。特に好きな場所は海だった。岩場に上って遠い水平線を眺めたり、波打ち際を歩いたり。渦巻いていた悩みも広い海に吸い込まれていくようで、いつも苦しみを癒やしてくれた。

 家族にしか会わない期間は4年ほど続いた。「でも、このままじゃまずい」。いざ人とのつながりがなくなると、生きている実感がない。沈んだ気持ちも回復してきた。

 「高校、行くぞ」。大好きな絵を学べる高校に入学。声はまだ戻ってこなかったが、本格的に絵を学び世界はどんどん広がった。絵を評価されるとき、話せないことは不利にならなかった。周囲も受け入れてくれた。「自分の特性とどう付き合っていくか、考えていけばいいよ」。担任の先生の言葉に、できない自分を責め続けていた気持ちが少し軽くなった。「話せなくても、私はいていいんだ」

 ▽伝える
 初めて話すことができたのは、いつも助けてくれた2人の友人。話す恐怖より「ありがとう」を言葉にできない苦しさがずっと心に残っていた。卒業後に映画を見に出かけた帰り道、「これが最後のチャンス」と勇気を出して3年間の感謝を口にした。1人は泣いて喜んでくれ、もう1人はうなずきながら聞いてくれた。どちらの気持ちもうれしかった。

 小さな成功をきっかけに少しずつ話せるようになった。進学した秋田市の美大でも「普通の子」として扱われる。夢を見ているようだった。他者に心を開けるようにもなり、場面緘黙のことも打ち明けるようになった。「おとなしいだけじゃないと思ってたんだよね」。自分の言葉で伝えたことを、受け止めてもらえることがうれしかった。

【高校の修学旅行でUSJへ行った際の三上真穂=大阪市】

【美大の卒業制作「洞然」と向き合う三上真穂(西尾葉月さん撮影)】

 それまでの経験を通して、卒業制作で大切にしたのは「自分のことを癒やす」というテーマ。巨大なキャンバスに、心の奥深い場所にある風景を描き上げた。そこには大好きな海もあった。洞然の意味は、深く抜け通って静かであるさま。心はいつもさまざまな感情を生むが、一番深い部分はいつも静かだと気づいた。「現実に翻弄(ほんろう)されているときも、そこに立ち戻れたら」と決意を込めた。

 現在は新潟県の大学院に通い、来年度からは地元の青森で中学校の先生になる。うまく話せる日も、そうじゃない日もある。でも「自分のそのままを人に伝えてみるっていうのが、今一番できてうれしいこと」。暗闇だった未来に今は、希望があふれている。

(敬称略、文・上田麻由佳、写真・今里彰利、2023年4月22日出稿、年齢や肩書は出稿当時)