長期連載‐国内

(4)さいころ一から振り直し 借金でホームレスにも

 25年ほど前のことだ。奥川拓二(おくがわ・たくじ)(60)がホームレスになって、3カ月がたとうとしていた。34歳の夏だった。公園や高架下を渡り歩き、その足は帰巣本能のように大阪市旭区の実家に近づく。だが、すでに絶縁されていた両親の元には顔を出せない。仕方なく少し離れた公園で夜を明かした。

かつて寝泊まりした大阪市内の公園。周囲は住宅に囲まれ、子どもたちの遊ぶ声がした】

 翌朝、水道で顔を洗ってふと見上げると、掲示板に「民生委員」とあって、名前と住所が並んでいる。「困りごと、ご相談ください」。俺、困ってるやん。その一人を訪ねて行った。

 経営していたテレビ番組制作会社が破産状態になり、借金から逃げて着の身着のままこうして浮浪していること。なんとか浮かび上がるきっかけをつかみたいと思っていること。だがこのなりで、住所不定では職探しにも行けないこと。民生委員の男性はしばらく黙って聞いていた後、こう言った。「電話しとくから、明日の朝一番で区役所に行きなさい」


 ▽リスクを取る
 「俺の人生、計画通りに行ったことがない」。むしろ誇らしげに奥川は言う。

 高校時代からドラムをやっていた。卒業後、自分のバンドでメジャーデビューしたが、直後に腕に大けがをしてドラマー人生は断たれる。人の紹介でテレビの世界に入った。下積みのAD(アシスタントディレクター)から始めて経験を積み、業界に顔も広くなった。独立し、番組制作会社をつくったのは24歳の時。世はバブルだった。

1983年、バンドでメジャーデビューしたものの、腕を複雑骨折した奥川拓二。ドラマーの道は絶たれた(提供写真)

 やがて最初の結婚をして子どもも生まれ、会社はどんどん大きくなっていった。だが「順調だと不安や不満を抱く癖がある。先が見通せると、退屈になってしまうんです。そんなときほど、リスクを取りたくなる」。

 テレビ局の下請けに満足せず、自分でスポンサーを探し作りたい番組を作った。そのスポンサー会社が倒産し、制作費をかぶることに。徐々に借金がかさんでいった。

 銀行から、消費者金融から、やがてヤミ金融から金を借りるようになる。ひりひりした。いつの間にか負債は1億円を超えていた。「そういう時こそテンションが上がるんです。よし、やったるで、と」。本人はまるでこたえなかったように振り返るが、当時はまだ友人だった現在の妻、容子(ようこ)(60)は証言する。「ファミレスで食事していて、きつい取り立てに『一生懸命やってんのにな』と、涙を流していました」

【取材のため、かつてねぐらとした公園を訪れた奥川拓二。当時、昼間は周辺を歩き、日が暮れると公園に戻った。家々の明かりを眺め、家族のだんらんを思い描いた。「諦めへんかったら、なんぼでも立ち上がれる」と振り返った】

 ▽20万円
 民生委員の言う通り区役所に行ったら、20万円貸してくれた。「世の中、捨てたもんやないな」と感動したが、調べると、そんな制度はないという。考えられるのはその民生委員が区役所に金を託し、間接的に貸してくれたということくらいだが、今となっては確かめようがない。

 いずれにしてもその金で身なりを整え、安いアパートを借り、携帯電話をレンタルした。職業安定所で紹介された小さな運送会社が雇ってくれた。2トントラックがやがて4トンになり、10トンになった。少しずつ、借金を返していく日々。夜は運転席で寝て、出費は食べるだけ。ひたすら働いた。容子とはその間、電話だけで交際をした。完済するまで会わない。それが奥川の決意だった。

 返済のめどが立った時、42歳になっていた。後ろを振り返ることは失速することだった。絶望せずに前を向き走り続けた8年間。自分はいつかきっと復活してみせる。そう信じて。

 奥川は、いかなる状況も上空から見下ろすような視点を持つ。しかも笑いのねたとして。ホームレスをしながら、トラックを運転しながら「俺、今すごい経験をしてるぞ。いつかこの話を誰かにしたらきっと受ける」と思っていた。今も当時の話に人々は笑いころげる。「おもろい社長」の鉄板ねただ。

 ▽V字回復
 そう、奥川はすごろくのさいころを一から振り直し、今では東京を本社に社員40人、年商10億円の会社を経営する身にまで「奇跡のV字回復」を成し遂げた。 

【テレビ番組やイベントなど幅広いコンテンツを作る「DREAM-Lab」を率いる奥川拓二。近くに構えた自宅から深夜、早朝にかかわらず「何かあればいつでも駆け付ける」という=東京都港区六本木】

 東京では六本木のど真ん中に住み、大阪には高層マンションの一部屋を所有する。テレビ番組、CM、イベントなど、幅広く手がける会社は順風満帆だ。だけどどこかしっくりこない。

 「老後」なんていう柄じゃない。引退はないと思っている。経営から手を引くには自分の果たす役割が大き過ぎる。だが金はあってもさほど使い道があるわけでもない。仕事も同じことの繰り返しのように思えてくる。この先の人生の張り合いを、どこに求めればいいのだろうか。

 もう一度、賭けに出ようと思う。スポンサーに頼らず、自分の資金で自分の作りたいコンテンツを世に出したい。それには投資が必要で、借金もすることになる。だが勝負しないと、生きてるかいがない―。

 還暦を迎えた今、ホームレスだった自分の姿を思い起こしている。

(敬称略、文・岩川洋成、写真・京極恒太、2023年1月28日出稿、年齢や肩書は出稿当時)