長期連載‐国内

(2)いないよ、ここに   東京を離れたベーシスト

 北海道の襟裳岬に近い太平洋に面した、浦河という小さな町がある。大黒座はその町の映画館。建物は少しくたびれているが、町の、いわば文化の中心だ。この日はそこで、ジャズベースのソロライブが開かれていた。背中を丸めてウッドベースを奏でるのは、この町に住む立花泰彦(たちばな・やすひこ)(67)。東京のジャズシーンで鳴らした知る人ぞ知るミュージシャン。毎月そのライブを間近に聴ける浦河の人々は、実にぜいたくな境遇にいる。

  

【大黒座で78回目のソロコンサートを開いた立花泰彦。2015年のバレンタインデー以来、月1回のペースで続けてきた】

 ▽異変

 東京で暮らしていた立花が、妻の泉(いずみ)(52)の異変に気付いたのは2008年のことだった。ツアーから帰ると、一歩も外に出ていないことが分かった。そこにいるのにそこにいないような様子に胸騒ぎを覚え、病院に連れて行くと、統合失調症と診断された。幻覚や幻聴に襲われ、重くなると日常生活もままならなくなる精神の病気だ。父と祖母を立て続けに亡くしたことが引き金になったようだった。


 「がーんと来ましたね。病気のことを何も知らなかったから、あわてて本を買って勉強しました」。泉は入院し、長くなるだろうと言われた。立花が家に帰ると、飼い猫のルーちゃんが、泉が描きかけたキャンバスのところへ連れて行く。いないよ、ここに。そう言っているようで涙が出た。


 入院後まずやったことは、毎朝ごはんをたいて食事をしっかり取ることだった。「ちゃんとした暮らしをしようと思いました。そうじゃないと、そこから崩れてしまうような気がして」


 泉は画家である。「みーちゃん(泉の愛称)の絵に俺が曲をつけて、CD画集を出したかったな」。そう言うと泉の様子が変わった。急に現実に戻ってきたようだった。立花はそれまで共演してきたミュージシャンに声をかけ、10点の絵に11曲を収めた「彼方(かなた)へ」を完成させた。「本人はうれしかったでしょう。急速に回復して退院までこぎ着けた。お医者さんも奇跡的だと驚いていました」

   

【2009年、退院した頃の妻泉と海岸で写真に納まる立花泰彦=神奈川県平塚市(提供写真)】

 

【立花泰彦が泉の絵に曲を付け完成させたCD画集「彼方へ」。2009年12月に発行された】

 ▽暗転
 だが事態は暗転する。やはり近しい人の死がきっかけだった。11年、旧知のドラマーの急逝で症状が悪化。再入院したときには、もう二度と退院できないかもしれないと思われた。「入院してくれていた方が、自分は楽なんです。仕事にも行ける。でもそれがね、なんか居心地が悪かった。それで仕事に行っても楽しくないっていうか」


 精神障害者の生活共同体「べてるの家」を中核に、患者が町に溶け込むような先進的な試みがなされている浦河のことを知ったのは、そのころのこと。とにかく泉を入院させていたくなかった。


 東日本大震災にも後押しされたと思う。都会で暮らすことは地球を破壊しているのだと身に染み、浦河での人としての身の丈に合った暮らしを思った。11年10月31日に退院。荷物とルーちゃんを車に積んで、そのまま旅立った。


 それから10余年がたった。ある日の午後のことだ。「浦河ひがし町診療所」に、世界各地の楽器をてんでに鳴らす十数人の姿があった。立花が主宰する「音楽の時間」を週1回開いている。自身も楽器を手に輪の中を飛び回り、次々とソロ演奏を促す。

  

【浦河ひがし町診療所で「パーカパッションアンサンブル」の音頭を取る立花泰彦。週1回メンバーが集い、自由に音を出す。「ルールはないが、何をやっているか、お互いの姿を見よう」と立花は呼びかけている】

 ▽即興の喜び
 泉が通うこの診療所は、浦河赤十字病院の精神科医師だった川村敏明(かわむら・としあき)(73)が14年に開院した。「治さない医療」を掲げ、精神疾患を抱える患者が障害を自分事としてきちんと悩み、周りと支え合う場をつくることを目指す。「音楽には正しいも正しくないもない。皆がそこに参加しているという気持ちを持てていることが大事なんです」。川村がそう評する音楽の時間は、今や診療所の大切なプログラムだ。


 演奏の輪を初めは遠巻きに見ていた女性が、少しずつ近づいてきて、今ではなくてはならない存在に。「音楽の時間」のメンバーを元にしたバンド「ひがし町パーカパッションアンサンブル」は、17年の札幌国際芸術祭に参加し、渾身(こんしん)の演奏を見せた。「ジャズが目指している即興の喜びが、ここでは味わえる。一番楽しんでいるのは僕かもしれない」

 

 もうジャズはできないだろう。浦河に来るとき、そう思った。だが旧知のミュージシャンたちが立花を訪ねてきては、そのたびにコンサートを開き、立花とセッションをして帰って行くようになった。大黒座でのライブも昨年末で80回近くになった。「これも泉が病気になったおかげでね。東京ではできなかっただろう音楽活動ができている」


 高校を出て、そのままミュージシャンになった。ラッシュの電車に乗りたくない。毎日昼寝がしたい。そんな「ふざけた動機」だったが、それが今の生活では実現していると笑う。「浦河はいいところですよ。自然が豊かだし、静かだし」とゆったりと話す泉も、今ではすっかり落ち着いている。

(敬称略、文・岩川洋成、写真・京極恒太、2023年1月14日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

 

【浦河町の漁港近くにある映画館大黒座。立花が月に一度コンサートを開いている】