長期連載‐国内

(45)母でも私のままで 長男の事故、中傷に動揺

 2010年秋に保育園で起きた窒息事故で、栗並(くりなみ)えみ(44)は1歳の長男寛也(ひろや)を失った。事故の翌年、パソコンの画面を見ると、ネット上には自分を責めるコメントが並んでいた。

 「働いて、子どもの面倒を見ない母親が悪い」「かわいい盛りなのに、なぜ預けるの?」。事故が地元メディアに取り上げられたことへの反応だった。

 共働き家庭で育ち「働く母」という生き方に疑問を抱いたことはなかったが、見知らぬ者からの言葉の刃に揺らいだ。「好きな仕事を続けた私が悪いのか。預けてまで私が働く意味は何なのか」。自分を責める気持ちにのみ込まれそうになり、必死で考えた。答えが見つからないと、もう立っていられない気がした。

いつもみんなを見守っている長男寛也の写真と一緒に、家族で記念写真に納まる栗並えみ=愛知県碧南市

 ▽搾取

 愛知県碧南市で生まれ育った。郵便局員だった母の帰りは遅く、家には自営業の父と祖母がいることが多かった。仕事で表彰され、管理職になった母の姿は格好よかった。家にいる時は少しずっこけていて、かわいらしいところも好きだった。親戚から仕事を辞めるよう言われていた母を、父がかばっていたと知ったのは大人になってからだ。

 地元では「女の子は勉強しても意味がない」という親戚らの言葉に傷ついた。希望する職を目指せるようにと大学へ進学。卒業後は道路や河川の管理に携わる仕事に就いた。専門職ではないが「世の中の役に立てる」と意欲が湧いた。

 男性が多い職場で、最初は若い女性であることを搾取されるような思いをした。愛想良く電話を取り、来訪者に対応することを求められているように感じた。「男の人を下支えするためにいるんじゃない」とつらかった。

 2年後に異動。法令や制度の知識を仕事に生かせるようになり、ようやくやりがいを感じた。

 27歳で、大学の先輩だった秀行(ひでゆき)(45)と結婚した。穏やかで賢く、他者を尊重する姿に引かれた。寛也が生まれて1年間の育休を終え、再び仕事に向き合い始めた時に事故は起きた。

   

2010年4月、長男寛也を抱く栗並えみ=愛知県碧南市(提供写真)

 ▽理不尽

 「おやつのカステラを喉に詰まらせた」。保育園からの連絡で病院へ駆けつけると、チューブや人工呼吸器につながれた、おむつ姿の寛也がいた。「お母さん来たよ」。大好きな「かえるの合唱」を耳元で歌い、絵本を読んだ。39日後、腕の中で息を引き取った。

 大人が見守っているはずの場所で、なぜ息子は死んだのか。夫婦で保育士らへ聞き取りを始めた。部屋には規定より多い園児がおり、担当者が寛也から離れていたことが分かった。

 事故がメディアに取り上げられると、ネットの心ない声に傷つけられた。母親を責めるものばかりで、父親への意見は一つもない。理不尽さを感じながらも、「働く母」という自らの生き方を振り返り始めた。

 「寛也君ママ」と呼ばれることに違和感があった。1人の人間として立ち、社会とつながりたい。その思いを実現する手だてが仕事だった。

 子どもはかわいく、大切な存在だ。だが、ママ友たちと「子ども」を主語にした会話を重ねていると、自分が消えてしまいそうな気がした。

 一方、仕事以外では寛也のそばをわずかでも離れるのは後ろめたく、美容院にも夫に申し訳なく感じながら出かけた。夫は普段からおむつを替えたり、食事をさせたりして子どもと関わろうとしていたのに、自分から遠ざけてしまった。子育ては幸せで、苦しかった。

 復職まもない頃、雑誌で女性政治家が「出産後、全ての飲み会を断っている」と発言する記事を読んだ。こんなに活躍している人でも子どもが優先なんだと思うと、子育てを苦しいと思ってはいけない気がして口に出せなかった。「仕事以外の全ての時間を子どもにささげるのが母親」。そんな偶像に縛られていた。

 園の対応には以前から疑問を抱いていたが、「寛也のことは私がやらなきゃ」と思い込み、夫にも相談しなかった。

 ▽おかあ

 1人で抱え込まなければ、違う結果もあったのだろうか。ネットでは中傷されたが、夫や実家の家族に「母親なのに」と言われたことは一度もなかった。かたくなに持ち続けていた「母親像」は、1人で作り上げた呪縛だったのかもしれないと、徐々に考え始めた。

 そんな時、子育て支援団体で出会った「母親が自分らしく生きることが子どもの幸せにつながる」という言葉が、すとんとふに落ちた。母も、ことさら自分を犠牲にしてはいなかったのではないか。仕事を頑張る背中と家庭での姿のギャップも含め、自分は等身大の母が好きだった。

 あれから2人の子どもに恵まれ、仕事も続けている。ただ、全てを背負うのはやめた。私は私でいい。

 毎朝、小学生の次男(12)と長女(9)の朝食の準備は夫に任せて出勤する。長女は「おかあは仕事が楽しそうでいいなあ」と笑ってくれる。

(敬称略、文・兼次亜衣子、写真・今里彰利、2023年12月9日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

リビングでくつろぐ家族と栗並えみ。長男寛也の写真が見守る=愛知県内