長期連載‐国内

(44)母さんに何も期待しない なんで私だけ、感情にふた

 台所に立つと、敷きっぱなしの布団に座る母さんの背中が目に入る。周りには洋服や書類が散らばり、足の踏み場もない。居間のテレビから笑い声だけが響いていた。

 中学生だった尾﨑瑠南(おざき・るな)(23)は、友人の家に遊びに行くと、いつも現実を思い知らされた。そこでは母親が「おかえり」と子どもを出迎え、晩ごはんを作る。学校の話にも耳を傾けてくれる。

 自分はそうではなかった。家中の家事を担い、自室が唯一の居場所だ。母親に何かを求めても無駄と悟ってからは、期待しないようにした。誰に言っても現状は変わらない。感情にふたをして、やり過ごすことにした。

時折訪れる石狩川河口の公園で西日が虹を架け、たたずむ尾﨑瑠南を照らし出す。今は作業療法士として働き、休日にはクライミングのため釧路まで足を延ばすことも=北海道石狩市

 ▽担う

 幼い頃は札幌市の一戸建てで不自由ない暮らしをしていた。家族で道内旅行に出かけた時も、母親は笑っていた。運転が趣味で、保育園に迎えに来るとそのまま近くの藻岩山へドライブした。後部座席で後続車を眺めるのが好きだった。家に帰ると手料理が並んでいた。

 小1の終わり、事情はよく分からぬまま、引っ越すことになった。車も手放し、生活保護を受け始めた頃から母親は少しずつ変わっていった。荷物を段ボール箱から取り出すこともせず、寝ている時間が長くなった。料理を作らなくなり、酒やたばこの量も増えた。

 しばらくして両親は離婚し、小3から母親と弟2人との生活が始まった。ほとんど動かない母親に代わり、年子の弟と2人で洗濯、掃除、買い物、料理など全ての家事を担った。「4歳下の弟は家のことには巻き込まない」というのが、2人の間の暗黙の了解だった。

 年子の弟に家事をしないことを指摘されると、母親は「母さんだってがんばってるんだから」と泣いた。かつて保育士をしていた頃、職場での人間関係がうまくいかず、うつ病を患ったことがあった。門限に厳しく、自分の方を向かせるために、子どもを家に縛り付けておきたいようだった。

小6のクリスマスに父親からデジカメを買ってもらった。三脚にセットして、尾﨑瑠南(中央)は2人の弟と記念写真を撮った=札幌市(提供写真)

 ▽装う

 母親は気持ちが落ち込むと、カッターで手首を切ったり、薬を大量に飲んだりする自傷行為を繰り返した。トイレに向かうドンドンという足音や、冷蔵庫を強く閉める音は「今夜は危ない」というシグナルだった。

 「止めれば刃は自分に向く」。そう思うと声をかけられなかった。自傷行為があるたびに病院へ付き添い、帰宅が午前4時になることもあった。寝ずに学校へ行くと、友だちはいつも楽しそうに見えた。中学生になってからは、周囲とのギャップが気になり始めた。

 仲良しグループで、休日に父親と出かけた話で盛り上がることがあっても「聞き役」に徹した。適当に話を合わせることに慣れていった。「家族でディズニーランドに行った」と土産をもらうこともあったが、自分に夏休みの旅行先を聞いてくる友だちはいなかった。

 周りはうすうす気づいていたのかもしれない。そうだとしても、貧乏だと思われないよう一度着た服は洗濯を欠かさず、においに気をつけた。筆箱も汚れが目立たないよう半年に一度は買い替えた。普通の家庭を装うのに精いっぱいだった。

 何もかもが違う。なんで私だけこんなことをやってるのだろう。でもどう考えてみても、解決できそうもない。諦めた方が苦しくなかった。

 母親に行きたい高校を話すと反対され、抱えた思いが口をついて出た。「なんでこういう時だけ母親面するの」。もう、あの人に関わらないことだけが、自分にできる唯一の反抗だった。

夕暮れ、ドライブで訪れた石狩川河口の喫茶店でひと息ついた

 ▽あふれる

 朝起きられず、学校に通えなくなったのは高1の秋だ。病院にかかると、医師は付き添いの母親を診察室から退出させた。「家で何か大変なことある?」。すぐには思い当たらなかった。「家事はしているけど」。一度声に出すと、母親との関係についてもするすると言葉が出てきた。

 しばらく聞いていた医師が言った。「気づいてないと思うけど、それが負担になっているんだよ」。自分は気づかないふりをしてきたのか。無理に閉めていた心のふたが取れ、涙があふれた。

 その後、母親だけが診察室に呼ばれた。何を話したのかは分からない。帰りにバスでショッピングモールへ寄ると、服や靴を買ってくれた。ファミリーレストランでごはんも食べた。

 母親は翌日から、これまでを償うかのように張り切って料理を作った。お盆には主食と副菜が並び、うれしかった。が、予想通り1カ月ほどでぱたりと作らなくなり、また元の生活に戻った。

 大学進学を機に1人暮らしを始めた。今は病院で作業療法士として働く。だが、母親からは頻繁に「顔出しに来て」とLINE(ライン)が来る。断れず立ち寄ることもある。ヤングケアラーでなくなっても、家族の関係からは逃れられない。

 もう会わなければよいと思うこともあった。母親だと認めることはできない。でも、そのたびに昔の元気な「母さん」の姿が浮かんでくる。

(敬称略、文・石黒真彩、写真・今里彰利、2023年12月2日出稿、年齢や肩書は出稿当時)

石狩川河口の公園のベンチで休む尾﨑瑠南=北海道石狩市