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第11回会議(21世紀におけるメディアの報道の在り方)

怒り忘れず志ある報道を 社会構造の変化に分析必要

 共同通信社は四日、外部識者でつくる第三者機関「報道と読者」委員会の第十一回会議を東京・東新橋の本社で開き、七月に就任した前広島市長の平岡敬氏(75)、日本総合研究所理事長の寺島実郎氏(56)、明治学院大法学部教授の渡辺咲子氏(57)の新委員三人が「二十一世紀におけるメディアの報道の在り方」について論議した。

 元中国新聞社記者の平岡氏は、政治家の失言などに対する報道全般について「怒りを忘れているのではないか。志が見えてこない」とし「ジャーナリストは権力と一定の距離を持たなければならない」と指摘した。

 寺島氏は「株の下落や失業者の増加などで社会がこの十年で大きく変わった」と分析。記事を分かりやすくするために論点が単純化されていることに懸念を示し「社会構造の変化を掘り下げて、体系的に読者に伝えることが必要」と強調した。

 元検事の渡辺氏は「日本が何をするべきかを考える選択肢を示すのがメディアの役割」と述べ「メディアが客観的であるためには、報道内容だけでなく、報道しなかった事実の検証も大切」とした。

 ネット社会について平岡氏は「今後ネットメディアの存在が大きくなる」と予測。寺島氏は「既存のメディアは質が問われる」と報道内容の充実を求めた。

 プライバシー保護に関連して渡辺氏は、街頭の監視カメラが増えている点に触れ「防犯のためなら何をしてもいいという雰囲気がある」と指摘。寺島氏も「何を失い、何を得ているのか認識する必要がある」と述べた。

【詳報1】 「怒り」と「志」を  構造変化の検証が必要

 共同通信社の第三者機関「報道と読者」委員会の第十一回会議が四日開かれ、新たに就任した前広島市長の平岡敬氏(75)、日本総合研究所理事長の寺島実郎氏(56)、明治学院大法学部教授の渡辺咲子氏(57)の三委員が「二十一世紀におけるメディアの報道の在り方」をテーマに論議した。

  平岡氏は「社会全体を嫌な雰囲気が覆っている。報道に怒りや志が見えてこない」と述べ、質の高い報道のために記者教育が必要と提言。寺島氏は「社会の無力感の原因を分析し、社会構造の変化を掘り下げるべきだ」と強調した。渡辺氏は「日本が何をするべきか、政策の選択肢を示すのがメディアの責任」と指摘した。  

 また読者対応事例として五月の第十回会議以降に読者から寄せられた配信記事・写真への意見、苦情など五件を三委員に報告した。

 権力との距離必要 無力感の原因分析を 政策決定で選択肢示せ

委員会に臨む3氏

『報道と読者』委員会第11回会議に臨む(左から)寺島実郎氏、平岡敬氏、渡辺咲子氏=10月4日午後、東京・東新橋

もっと批判精神を

 -最近の報道全般に対する印象は。

 平岡敬委員 大変嫌な時代の空気を感じる。メディアも加担しているのではないか。権力と一定の距離を置いて批判するのがジャーナリズムの役割。多様な情報を提供して民主主義社会の前進にはどういう判断が望ましいかを読者に問い掛けていくべきだ。最近のメディアには批判精神が感じられない。相次ぐ閣僚の失言、暴言や小泉首相のはぐらかし答弁への怒りが感じられない。記者に「志」が見えなくなってきた。

 寺島実郎委員 海外に行くと、日本の特異性は際立っている。株は上がったがピーク時のまだ四分の一の水準。失業者は十年間で二百万人以上増えた。「ほかの国なら暴動やデモが起きている。日本人はなぜ怒らないのか」と聞かれる。なぜ無力感が生まれるのか、分析が必要だ。

 渡辺咲子委員 今年三月までは検事で、報道してほしくないと思うことも少なくなかった。大学で教える立場になり、あらためて報道の役割・重要性を考えさせられている。外務省に出向した経験があるが、そのとき、わが国では、日本として何をすべきかを考える前に、米国がどうするつもりかを考えて政策を決定していると感じた。政府が単一の方針で政策を決定することがあるなら、ほかの選択肢を示すのがメディアの責任になってくると思う。

戦前の過ち忘れるな

 -最近の報道の問題点は。

 平岡委員 私たちは米国のメディアを尊敬し、手本にしてきたが、米中枢同時テロ以後、米国のメディアは健全性を失い愛国心一色になった。テロリストをやっつけるためには核兵器も許容する雰囲気が生まれた。権力に屈したのではなくて、メディア自身が足並みをそろえた気配がある。日本もそうなっているのではないか。国民を扇動して戦争へあおった戦前の過ちへの反省から戦後のマスコミはスタートしたのに、それを忘れているとしか思えない。

  気になるのは北朝鮮問題。拉致が許されない国家犯罪だというのは当たり前だが、植民地支配という歴史があり、賠償も国交回復もしてこなかったことも視野に入れた報道姿勢が必要ではないか。

  今、日本中に異論を許さない不自由な雰囲気がある。権力に対して社会の不公平、不公正を糾弾して社会正義を追求するという職業観が見えてこない。なぜジャーナリストになったのかということをもう一度問いただしてほしい。

危険な論点単純化

 寺島委員 この十年で所得の分配構造が反転した。利息収入を得ていた資産家が没落し中間サラリーマン層が相対的に浮上した。一方で年収二百万円以下の人が二千五百万人ぐらいに増えた。事実をちぎり投げするだけでなく、社会構造の変化を深く掘り下げてほしい。これが第一点。

  次に、分かりやすく報道しようとして論点の単純化が起きている。例えば「改革派対守旧派」。細川内閣の政治改革や橋本内閣の行政改革。議員の任期制限や定数削減、行政の機能的再編を問うべきなのに、反対意見を言うと守旧派として葬られる。今の構造改革も同じ。なぜ「論点が違う」と報道できないのか。

  三点目は、伝えるべきテーマを凝縮していくのがメディアの役割だということ。テロとの戦いで国際協力が大事ということに反対の人はいない。しかし、イコール対米協力ではない。例えば国際刑事裁判所(ICC)構想。日本のメディアはしっかり伝えていない。米国は構想から下りた。英国や韓国は参画しているが日本はまだ。小さな記事では、どんな位置付けで日本がどう評価されているのか分からない。

記事の重みに工夫を

 渡辺委員 外国の新聞も読むようになり、初めて中東の問題が世界の中でどんなに大きいのかを実感した。もちろん日本の新聞でも国際面に中東情勢の記事があるが、重みが違う。読者として見たときに、記事の内容だけでなく、記事の扱い方で、社会の中で何が大事なのかを感じさせる力と責任がある。どういうものをどういう重みで報道していくのかで、一般読者は大きく影響される。

  今の大学生は、労働争議も日本赤軍も知らない人が多い。知識の前提として持っているはずの歴史を実感として知らない人たちに、結論だけ説明しても多分、分からない。報道でもそういう落差があるのではないか。

 平岡委員 被爆者アンケートで、核廃絶は不可能だと思っている人が半分以上だった。核兵器を持ったら安全が本当に保てるのか、あるいは核廃絶の方が保てるのかという根源的な議論をやらないと。日本のためにどっちがいいのか、もう一度検証する必要がある。

監視社会に警鐘

 -プライバシー保護に関する報道の在り方について。

 渡辺委員 治安情勢の悪化は確かにあるが、治安を維持するためには、防犯カメラでもなんでも、国民の私生活の監視が無条件に許されるという雰囲気がある。このような問題は常に、犠牲となる他の利益とのバランスを考慮して妥当な方策が導かれるはずであるのに、その配慮がない。どこまでが限界なのか検証が必要だ。匿名報道の問題はかなり慎重に検討されているが、特殊な犯罪は別として、犯罪報道で実名報道しないとなぜ国民の知る権利を侵すことになるのか、いまひとつ理解できない。

 寺島委員 情報技術(IT)革命の進展でどういう情報環境に身を置くのか、覚悟ある議論をしなければならない。カーナビゲーションも軍事衛星につないで車を走らせている限り、誰がどこにいるか完全に掌握できる。何を失い何を得ているかを冷静に考え、単に個人の権利が侵害されるといった視点でなく、本質的な部分で論点を伝える努力をしなければならない。

 平岡委員 大変息苦しい社会が予想される。管理強化が社会的閉塞(へいそく)感につながっている気がする。

体系的な記者教育を

 -事実だけ伝える客観主義報道について意見は。

 平岡委員 純粋な意味での客観報道はない。それだけにジャーナリストは確かな歴史認識、社会認識を持たないといけない。ジャーナリズムが追っている社会が歴史の先端にいるという認識に立つなら、体系的で学問的な記者教育が必要だ。

 渡辺委員 メディアは、報道した記事については客観性を担保することに非常に苦労している。しかし、報道しなかったことの検証が必要。拉致問題については、平成の初めごろには証拠が明らかになっていたのに、マスコミの反応は冷たかった。報道されたことに客観性があっても、報道しなかったことによって客観性が失われる。新しいものを追い掛けるだけでなく、振り返る必要もある。

 寺島委員 イラク戦争を素材として考えると、戦争の経緯を淡々と伝える方法もある。しかし、生身の人間として存在していた人たちが消えていった事実を紹介することも客観報道ではないか。米国と一緒に戦った英国でさえ、その責任を問うメディアは鋭い。小泉首相がどういう根拠で決断し、なぜ米国の情報を正しいと判断したのか、問い詰めていくべきだ。

ネット社会迎え撃て

 -IT社会では個人情報そのものが質的に変化している。

 平岡委員 ネットメディアは二十一世紀に大きな存在になる。既存メディアは政界、官界、財界という目で社会を見ているがネットメディアは全く違う視点で見ている。

 寺島委員 事件の犯人の名前がその日のうちにネットに出る時代。メディアという介在者は排除される。だからこそ報道の質が問われる。情報の読み方で優越しなければ。二十一世紀のメディア環境を覚悟して迎え撃たないといけない。

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