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第5回会議(メディア規制法案、政治とカネ)

報道の自由訴える工夫を  「報道と読者」委員会

 共同通信社は二十五日、外部識者三人による第三者機関「報道と読者」委員会の第五回会議を東京・虎ノ門の本社で開き、「メディア規制法案」や「政治とカネ」をめぐる報道などを議論した。

 評論家の内橋克人氏は「読者で、メディア規制法案の報道を自分たちの問題としてとらえている人は多くない」と指摘。「例えば、中国・瀋陽の亡命者連行事件では、共同通信などが映像を全世界に公開しなければ(韓国への)亡命はなかった。そういうアピールをすれば読者も報道の自由の大事さが分かるのでは」と提案した。

 学習院大教授の紙谷雅子氏は、個人情報保護法案が一般市民などを包括的に規制している点を批判。「名簿販売業者など、明らかに個人情報で利益を得ている業者を指定して規制するべきだ」とした上で、法案で個人情報がどう扱われるかを読者に説明する必要があるとした。

 元最高検検事の土本武司氏は、人権擁護法案に関し「許される熱心な取材か、許されない人権侵害か、その判断を国家が判断することが問題だ」として、「新聞倫理綱領」に具体的な規定を設けるなど、メディアによる自主的な取り組みが必要だと提言した。

 「政治とカネ」をめぐる報道で土本氏は、辻元清美前衆院議員の秘書給与流用疑惑などが週刊誌の報道で発覚したことを挙げ「潜在的な膿(うみ)を暴き出す意欲の問題だ」とした。

 紙谷氏は「本来政治献金は政策を実現してもらうためのもの。見返りを求めることは恥ずかしいことだということを報道してほしい」と求めた。

【詳報1】 新聞倫理綱領で十分  知的活動の規制は間違い

 共同通信社の第三者機関「報道と読者」委員会の第五回会議が五月二十五日開かれ、評論家の内橋克人氏、元最高検検事で帝京大教授の土本武司氏、学習院大教授の紙谷雅子氏の外部識者三人が「メディア規制法案」や「政治とカネ」をテーマに議論をした。

 メディア規制法案では、委員が中国・瀋陽の亡命者連行事件を例に挙げ「共同通信などの映像がなければ亡命者は救われなかった。そういうアピールをして報道の自由の大事さを訴えるべきだ」などの提案をした。

熱心で粘り強い取材必要  国家機関が判断は問題

 ―まずメディア規制法案全般と報道側の反対行動などについて意見を。

廃案訴える作家たち

「メディア規制三法」の廃案を訴える作家やジャーナリストら=4月13日、東京・永田町

 土本武司委員 人権擁護法案は、従来の司法的救済が必ずしも有効ではないので、行政による人権救済制度を整備するというものだが、行政的救済制度の対象としてメディアを取り込む必要があるだろうか。いい報道をするためには、取材する場面の活動が熱心で粘り強く行われる必要がある。許されるべき熱心な取材なのか、それを超えた許されない取材なのかの判断を、国家機関がするというのは問題だ。

 結論的にはメディア側が自主規制機関をつくって、今以上に強力な自主規制をするということにし、それでも問題が起きた時には司法の判断に委ねるということではないか。 日本新聞協会の新聞倫理綱領には、人権擁護法案にも個人情報保護法案にも共通する基本原則が既にうたわれている。さらに「個人の名誉を重んじ、プライバシーに配慮する。報道を誤った時には速やかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる」ことをも入れている。基本的精神はこれで十分尽くされている。後はこれを具体化するものを新聞協会でつくり、実行に移すということで必要かつ十分ではないか。

映像公開で亡命実現

 内橋克人委員 一般の読者や市民は、私が接する限り、メディア規制三法を自分たちの問題ととらえていない方が依然多い。今回の中国・瀋陽の亡命者連行事件にしても、一方では、共同通信を通じて映像が世界に流され、他方、中国などでは全く封じられた。もし全面的な報道の自由がなければ亡命を試みた人々の人命、基本的な人権はなかった。全世界に公開されたことで、かろうじて今日の国際的な措置が取られたと思う。これは多くの読者、国民、視聴者が承知している。

 それがなぜ可能だったかといえば、報道の自由が、極めて強い保障の下に貫かれているからだ。こういうことをアピールをすると読者、一般市民がいかに報道の自由を守ることが重要なことか分かる。

行政機関の救済は安直

 紙谷雅子委員 個人情報保護法も人権擁護法も、表現の自由に関する部分を除けば、実は必要とされている法律だと思う。差別、虐待、公権力による人権侵害という三点は、既にやってはいけないことになっている。それなのに「日本はそれを実現していない」と批判されている。今までのやり方では非常に問題があったということだから、この三点はきっちりやらなければいけない。

 司法救済の実効性を上げるためにどうするのかを議論しなければならなかったのに、これを飛ばして、行政機関による救済が安直にできるという形で導入されたのではないか。

 法案は、作家の城山三郎さんも言うようにメディアだけでなく、いろいろな事を調べている人たちにも網を掛けている。

 包括的な個人情報の規制をしているヨーロッパでも、メディア、芸術、学術関係は、はっきり外されている。個別的規制をするところでも、もちろん対象になっていない。書くこと、表現すること、あるいは知りたいと考えることなど、知的な活動に対して規制をするということは根本的に間違っている。

委縮効果が不安  業態ごとコントロールを

 ―法案の具体的な問題点についてもう少し説明を。

強制的要素出てくる

 土本委員 個人情報保護法案は、法形式として若干問題なところがある。規定を基本原則と義務規定に大別し、基本原則はすべてのものにかぶせ、義務規定は報道、学術研究、宗教、政治を外し、罰則規定の適用は義務規定違反だけという構造になっている。
 しかし、基本原則は五つもあり、基本原則の割には中身がある。中身があるものを規定しておいて罰則を設けないのは立法としては中途半端。倫理的な規定にとどまるくらいなら、新聞協会の自主規制に任せれば済む。

 他方で、法律は生まれ出れば、一人歩きする。基本原則も裁判官の判断基準、つまり物差しとしての機能を営む。その結果、罰則がなくても強制的な要素が出てくる。何よりも、取材する側も取材される側も、聞くこと、答えることが何か悪いことをするような思いにかられ、委縮効果が出ることを恐れる。

感度は鈍かった

 内橋委員 メディア規制三法と言われるものに抵抗を始めたのはフリージャーナリスト。組織の方々の感度は非常に鈍かった。「自分たちは違うんだ、対象外だ」という感覚でみていたのではないか。同法案で言う事業者には私も入る。実に巧妙にできている。

 これから組織ジャーナリストたちが、仮に法案が成立したなら、その後どう言論の自由を権利として主張していけるのか見届けたいと思うくらいだ。

 それから週刊誌やその他を新聞と区別するという考え方も根強い。おれたちは正統派と思っている。だが、その正統派でないところから、これまで金脈、巨悪事件などの報道が出ている。外務省と鈴木宗男衆院議員との癒着の問題も、新聞はもっと早く報道できたのではないか。非常に心もとない。

個人情報は誰のもの

 紙谷委員 権利として個人情報を考える時、通常は自分のものだと皆さん直感的に思っているだろうが、このような法制度の下では、個人情報は実際に保持している人たちのものだ。誰かから他の人に移った場合、そのコントロールはもはや利かなくなる。そういう場合は、どうしたらいいのか。私の情報を持って名簿業者が非常な利益を得ている。しかし私には全く見返りがない。それはただ乗りではないか。そういう議論はどうして出てこないのか。

 業として、名前を売ることによって利益を得ている人たちに対するコントロール、それを業態として押さえていくことが重要。数をたくさん扱っているというだけで行うとか、一般的に民間部門という形で、ネットをかけていく方向性は非常に問題がある。

【個人情報保護法案の5原則とは】
 同法案で、個人情報を扱うすべての者が守るべきだとされる基本原則。内容は①利用目的を明確にし、その達成に必要な範囲で取り扱う「利用目的による制限」②適法かつ適正な取得方法を求める「適正取得」③利用目的の範囲で正確かつ最新の内容に保つ「正確性の確保」④漏えい防止などの措置を講じる「安全性の確保」⑤本人が適切に関与し得るようにする「透明性の確保」―の5つ。取材制限につながるとして、メディア側は全面的な適用除外を求めている。読売新聞社は5月12日付朝刊で⑤「透明性の確保」の原則だけ報道への適用を除外する「修正試案」を発表した。
【新聞倫理綱領とは】
 社団法人日本新聞協会が1946年の旧綱領を見直し、2000年6月に新たに制定した。人権尊重を強調しており、新聞の責務は「正確で公正な記事と責任ある論評によって公共的、文化的使命を果たすこと」と明記。「自由と責任」「正確と公正」「独立と寛容」など五項目を規定した。

【詳細2】 辻元氏と田中氏好対照  秘書の公表を

 ―「政治とカネ」の問題は今国会の大きなテーマ。問題点を指摘してほしい。

要求される秘書資格

 紙谷委員 本来、政治献金は政治家の政策に賛同し、その政策を実現してほしいと思っているからこそする。個人的な見返りを求めて出しているのではない。人間だから「何かいいことをしてくれるはずだから」といった思いをするのかもしれないが、それは浅ましいという感覚が乏しいから、頻発しているのではないか。

 税金で雇われているなら、秘書は、もう少し資格も要求されるだろうし、どういう行動をしているのか公示の対象になってもいい。

 また、政と官の接触は証拠が残った方が、政と官にとっても、それを見たい国民にもよいことだ。どんなやりとりがあったかが、はっきり見えるような仕組みが望ましい。

 ―秘書の口利きビジネスや秘書給与の流用問題は。

政治に参加できない

 内橋委員 辻元清美氏のケースは多くのことを人々の目の前にあぶり出した。一つは、小泉フィーバーのおかげでテレビのワイドショーなどで政治が近くなったというが、実は逆に本当の政治そのものはますます遠くなっているということだ。つまり、地盤・看板・かばんに恵まれた特権的な二世、三世の政治家以外の人、豊富な政治資金を持たない、企業献金を受けられない普通の市民がどうやって政治の場に出ていけるのか。ごく普通の市民が政治的な影響力を発揮できないのが今の社会の仕組みだという現実を極めて明快に教えた。これではお金のない人は政治に参加できないじゃないかという無力感を国民が抱くことになったと思う。

 また、根本の構造問題として一番大きいのは、企業・業界のけた外れの政治献金が、政権政党一党に今まで排他的にささげられてきたことだ。そこから問題が始まっている。企業という投票権さえ持たない抽象的な存在が、巨額の政治献金を通じてAを排してBを選べ、ということをやってきたことになる。これが民主政治と言えるか。

田中氏に説明義務

 土本委員 最近の国会議員の疑惑は共通項として二つ。一つは秘書が主役になっている。二つ目は口利き料を取ることと秘書給与を流用することだ。いつの間にか秘書が力を付け、情報を取ることも口を利くこともしている。

 秘書給与の問題は山本譲司(元議員の)事件が発覚するまではかなり広く行われていた。秘書を私物化し、秘書給与を私物化するというあってはならないことが一般的だったと言える。

 田中真紀子議員のケースだけは国会の調査の対象にも、司直の捜査の対象にもなっていない。なぜ秘書給与を直接秘書に渡さず、いつもファミリー企業を迂回(うかい)させて渡したのか。説明義務が尽くされていない。メディアによる追及、監視は怠ってはいけない。捜査機関は(事件が)これだけ多く同時に発生してくると、結局は選択せざるを得ない。

 ―加藤紘一・元自民党幹事長や井上裕前参院議長、鈴木宗男議員らについては。

 紙谷委員 政治家に何を期待するかだ。選挙で選ぶ時の基準が、いろいろな陳情処理を効率的にやるような人が必要になる仕組みと非常に結びついている。しかし、それ以上にどんな人が秘書なのかは公表されるべきだ。

 ―鈴木議員に関する報道で気付いた点があれば。

 内橋委員 鈴木議員が悪の象徴のように浮上した後、次々と外務省内部から情報がリークされた。いったん、悪者とされると、この時とばかり、その存在を排除しようというわけか、官僚でなければ知りえないような過去の情報が一斉にあふれ出てきて、個人情報保護法とも関連することだが、行政が情報を握ったときの怖さを感じた。「鈴木バッシング」があまりにも整合性がありすぎて、実に奇怪な情報の出方があるものだと首をひねらざるを得なかった。

【詳細3】 遺族からの抗議など7件  事件に被害者名は使わない

 共同通信社は「報道と読者」委員会第五回会議で、二月の第四回会議以降に読者から寄せられた配信記事に対する意見・苦情計七件を報告した。

 東京都文京区の幼女殺害事件を題材にした連載企画に対しては、被害者遺族から「(一審判決後の)今ごろなぜ連載するのか。幼女の名前を付けた事件名の見出しは迷惑」などの抗議があった。担当者が遺族に面談し「連載終了後は名前を使わないようにする」などと説明した。

 内橋克人委員は「被害者の名前を事件の代名詞にするやり方は、被害者や当事者の人権が侵されており、いずれ考え直す必要が出てくるのではないか」と問題提起。

 共同通信社の江畑忠彦編集局次長は「できるだけ被害者の名前で事件名を呼ばない、表記しないとの申し合わせを内部でしていたが、十分徹底していなかった」と経過説明。現在は事件名に「○○ちゃん事件」の表記は避け、「幼児○○事件」や「小2誘拐」など被害者の氏名を使わない工夫をしている例を紹介した。

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